Saturday, 8 July 2023

1985年7月5日-8日、イルクーツクからモスクワへ、その1

1985年7月5日(土)から8日(火)その1、

バイカル湖観光村Listovyankaでバイカル湖産の白身魚オームリのランチの後、来た道を戻るようにしてイルクーツクへバスで戻り、前日下車したイルクーツク駅からこの日のロシア号に乗車した。

イルクーツクはモスクワから5191km、モスクワ・ヤロスラブリ駅0km/9446kmまでここから車中3泊4日、ひたすら西へ西へと5000kmを走る。地形はほとんど平地(車窓の風景が変わらないことを意味する。)、クラスノヤルスク4104km/9446km、ノボシビルスク3343km/9446km、チュメニ2144km/9446km、スヴェルドルフスク(エカテリンブルク)1818km/9446km、ペルミ1437km/9446km、キーロフ957km/9446km、ヤロスラブリ282km/9446km、モスクワ0km/9446kmとなる。

クラスノヤルスク手前でエニセイ川を、ノボシビルスクでオビ川を横断した。その際、撮影禁止のアナウンスがあった。

客車は2等寝台の4人部屋、イルクーツクまで一緒だった仏人2教師は空路でモスクワへ移動したのだろう、既にその二人の姿は見えず、もう一人の日本人は同じコンパートメント、停車する度にその空き2ベッドにソ連邦の乗客が乗ってきて降りていった。ある駅で、乳児と娘のロシア人母子が乗ってきた。外国人はそれほど珍しくないのか、それとも中央アジア出身と思ったのか、まったく関心も持たれずだった。

食事は食堂車で毎食食べた。概ね同じメンバーで食べていた。メニューからスープかサラダとメインを選んでいたと思う。何を注文してよいのかわからずインツーリスト添乗員のマリーナにアイデアを出してもらっていた。選択肢は多くないのでも直ぐに最初のメニューが繰り返された。黒パンは常にあった。食事代は1ルーブルプラス程度だった記憶だ。

また、停車した駅で売っていた茹でたジャガイモを摘んだりした。客車の前後にサモワールがありティは常に飲めた。










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