Saturday 28 August 2021

ヤフオク出品の配送料金は出品者か落札者負担か?

ヤフオクの送料は出品者負担と落札者負担を選択するが、どちらがお得なのか、 試算してみた。

例として、

  • 商品代金9200円で落札してほしい商品を出品
  • ヤフオクシステム料は落札価格の総額の8.8%、つまり、送料出品者負担でもおなじこと。
  • 80サイズのヤフネコ宅急便全国均一料金

 

1)出品者負担

落札予定を10,000円とした場合

ヤフオクシステム料金は10,000円x8.8%=880円

ヤフネコ宅急便80サイズ、全国均一料金が800円

10,000-880-800=8320円

 

2)落札者負担

落札予定を9,200円とした場合

ヤフオクシステム料金は9,200円x8.8%=809.6円

ヤフネコ宅急便80サイズ、配送先により異なるが、近隣800円とする。落札者負担

9,200円-809円=8391円

 

両者の差は8320-8391= -71円

送料落札者負担とした場合のが出品者にとって71円お得となるが、配送先によって落札者の送料負担が増加する可能性がある。

この差額をどう考えるか?

ネコポス、宅急便コンパクト(全国均一料金)は出品者負担にすると170円(落札者負担だと210円)と380円(落札者負担だと444円より)+箱代70円と安く設定されている。

Saturday 21 August 2021

宝暦の治水工事と千本松原(油島千本松仕切提)

 小学生の時に自転車で東海大橋(昭和44年、1969年4月19日開通)を渡って行ったし(よく行ったものだ)、遠足でも立ち寄った。当時は立田大橋はなく、東海大橋の下流側の橋は国道1号線の橋だった。

 立田大橋(昭和59年、1984年10月開通)を愛知県側から渡ると木曽川、背割り提(仕切堤)交差点、長良川を越えると右側に展望台があり、そこが木曽三川国営公園の展望台のある木曽三川公園センターという施設、揖斐川と長良川の間に位置する。

 
木曽三川公園センター
 
 このセンターのやや下流側に長良川と揖斐川が背割貞(仕切堤)を挟んで流れ、堤防には松が植えられていることから千本松原(油島千本松仕切提)と言われる。その仕切堤の始まる場所に宝暦の治水神社がある。この神社は江戸時代の宝暦年間に幕府から命ぜられた薩摩藩が治水工事を行った際に薩摩藩士85名の殉職者をだし、明治期の木曽三川分流工事後の昭和13年になってから殉職者を顕彰するために建立された。


 江戸時代、木曽川、長良川、揖斐川の下流域は堆積による川底が高く、分流・合流を繰り返している暴れ川であり洪水が多発していた。また、この地区は美濃と尾張の藩境でもあり統一的な治水対策も行われず放置されていたが、徳川幕府は薩摩藩にこの治水工事を命じて宝暦4年から5年(1754-55年)にかけて工事が行われた。工事は順調に進まず、成果も乏しく、工事中に薩摩藩士51名が自害、33名が病死し、工事完了後に薩摩藩総指揮の家老・平田靱負も自害した。



 明治新政府になり、お雇い外国人であったオランダ人土木技術者ヨハネス・デ・レーケの監督の下、近代的な土木技術により木曽三川分離工事が行われ、明治45年に完工している。その後、昭和13年(1938年)に薩摩藩士殉職者85名を祭神として顕彰するため治水神社が建立された。このような結果から宝暦治水事件とも称される。
 
国営公園木曽三川
宝暦の治水工事(NHK)
https://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005403066_00000

 千本松原(油島千本松仕切提)は前述の通り、長良川と揖斐川の背割り提(岐阜県海津市海津町油島)のこと、ここに木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の三川分流工事に伴い、分流堤に約1000本の松が植えられたことから千本松原(油島千本松締切堤)と呼ばれている。



木曽三川分流工事後の千本松原(wiki)

宝暦の治水工事












Wednesday 18 August 2021

徳川昭武一行が宿泊したパリのホテル

「晴天を衝け」で徳川昭武一行が宿泊したパリのホテルはのは1862年に開業したグランドホテル・ドゥ・パリス、ナポレオン3世の命を受けてエレベーターやバスルーム付きの豪華仕様に、バリ万博1867での賓客向けであった。このホテルは現在のル・グランインターコンチネンタルホテル、ホテルとして現存している。

「晴天を衝け」徳川昭武一行、渋沢栄一が宿泊したパリ「グランドホテル」は現在の「ル・グラン」Le Grand InterContinental Paris

Le Grand 1862

ドラマの中ではカプシーヌ通りBoulevard des Capucinesのグランドホテルとの説明だったし映像がル・グランだったので気になり検索してみたらそうだった。

Le Grand InterContinental Paris at Boulevard des Capucines

クロード・モネが1873年から74年にかけてこのキャプシーヌ大通り35番地のナダールの写真スタジオから観察した「Le Boulevard des Capucines」に描いている。

歴史的建造物と都心ビルの建替え

浜松町の世界貿易センタービルが建て替えられる。

浜松町の世界貿易センタービル
1970年に完成した高さ152メートルのビルは、その2年前に開業した霞が関ビル(千代田区霞が関)の147メートルを抜いて、当時の日本一に。

新ビルは高さ235メートル、地上46階建てで、2027年3月の完成

さようなら、世界貿易センタービル 都心の象徴を解体へ
https://www.asahi.com/articles/ASP6Z313VP6ZUTIL001.html?fbclid=IwAR2d_j5mdjoV9005Iyx5rRA9mNu0ugGjuvMoBbqqHZmD5WD_RPNKQKDm44c

なぜ近代建築は解体の危機にさらされるのか? 近代建築史家にその背景を聞く
https://bijutsutecho.com/magazine/interview/24082?fbclid=IwAR1Nn3UkpPCYNjssrGNlgEYdIncwqBTgDkOB6yuXbAZF5CoYiaO52C771eE


2002年に制定された都市再生特別措置法によって再開発がしやすくなったことが都心ビルの建替えを促進しているようだ。

世界貿易センタービルの展望台、東京タワーの絶景ポイントであった。

目黒川の洪水対策と目黒川船入場調節池

昨日8/15にNHKはこの目黒川の動画を他の九州や広島の豪雨による河川氾濫と横並びで氾濫危険水位(青葉台観測所で267㎝を超えたのだろう)を超え溢れそうだと7時と9時のニュース等で報道、それゆえ友人知人から大丈夫かと連絡をいただいたので、現状を説明します。ちなみに私の住まいは目黒川沿いではなく目黒台地の上、目黒川沿いの標高より20m以上高い。

NHK 目黒川水位上昇

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210815/k10013203541000.html?utm_int=nsearch_contents_search-items_001

この動画は視聴者がスクープBOXに投稿したもので中目黒の駒沢通りからやや下流の船入場橋から午前6時半頃に撮影したものと判断される。右側に映っているのが目黒川船入場でこの地下に調整池がある。

都市河川の特徴は流域市街地の流出係数が高いので雨が降ると直ぐに排水されてしまい下流域の河川で洪水となりやすい、一方、直ぐに水位は低下する。

船入場調節池

目黒川は過去に氾濫が多く、1990年に船入場調節池を国隋対策施設として建設、55,000立方メートルの調整機能を持つ。高水位を超えると自動的に調節池に水が流れ込む仕組みになっている。映像では水流が高水位を超えて調節池へ流入しているようにも見える。

また、ここから河川幅が広くなる構造(断面が広くなるため下流へ流れやすい)。時間当たり50㎜の降雨強度で護岸が設計されているので通常は問題はない(昨今、時間100㎜超という降雨もある)、2016年までに9回の調節池への流入がある。

下流の荏原調節池(荏原市場跡地)は同様な目的で2002年に供用開始、200,000立法メートルの調節機能を持つ。このように既に洪水対策施設が機能しており、簡単に目黒区内で目黒川が氾濫するとは考え難い。

NHKは単に溢れるだけではなくどのようにして溢れるのか、都市河川の特徴等を予習したうえで報道したほうがよい。それと目黒川以外、昨日は報道されなかったが目黒川と同じような都市河川が都内にはあるが、報道のトリガーに触れなかったのだろう。町田市で豪雨とのニュースを聞いたが鶴見川でも水位がかなり上がったのではないだろうか。

この撮影場所下流の田楽橋での水位は8/15 6:30に291cm(この時に氾濫危険水位267㎝を超えたのであろう)、その後、7:30に147cm、8:30に104cmと水位は低下したとの記録がある。

青葉台観測所(東京都)

https://www.kasen-suibo.metro.tokyo.lg.jp/im/uryosuii/tsim0106g_2B16.html

氾濫危険水位 267㎝

洪水発生水位 467㎝

国土交通省 川の防災情報

https://www.river.go.jp/kawabou/mb/tm?zm=15&clat=35.6441667&clon=139.7177217376953&fld=0&mapType=0&viewGrpStg=0&viewRd=1&viewRW=1&viewRiver=1&viewPoint=1&ofcCd=3329&itmkndCd=4&obsCd=3 

目黒川流域河川整備計画

https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/temporary/content3/000038913.pdf

目黒川船入場調節池

https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/content/000046134.pdf

Monday 9 August 2021

Canon EOS 7Dのシャッター回数を調べる方法

Canon EOS 7DのEXIFにはシャッター回数情報が含まれていない、よってアプリを使ってPCとCanon EOS 7DをUSBで接続して調べる。以前にも書いたがその時はアプリまでたどり着けなかったが、何か勘違いをしていたのだろう。

https://eastriver229.blogspot.com/2021/05/blog-post_31.html

アプリはCanon EOS Digital INFO、下記より容易に入手できる。

からDownLoadをクリック、下記のファイルがDLされる。

CanonEosDigitalInfo_v1.4_SDK_v2.14.zip

解凍したファイルのCanonEosDigitalInfo.exeをクリックして起動させる

PCとUSBケーブルでCanon EOS 7Dを接続し同期させる。これはキャノンのEXIFにはシャッター回数情報が含まれていないので。

繋いでみるが繋がらない、ケーブルの接続不良か?と思ったらPCが接続を認識した。



変な日付がなぜか表示されるがこれは無視して、Shutter Counterシャッター回数は、「20199」であった。

Canon EOS 7Dの耐用シャッター回数は15万回なので、2/15しか使用していないことになる。

ヤフオク出品メモ-その1(配送料負担、出品ルールなど)

これまで落札ばかりでしたが荷物整理を兼ねて手元にある在庫品で商品価値のある物品をヤフオクに出品することにした。ヤフオク、配送時の宛名書きなどの手間が省けてこれまでより物流システムが進化している印象。その他、メルカリやアマゾンへの出品も考えているが精査には至っていない。

これが最初に落札されたオークション、短い期間でよく落札に至ったものだ。以下、気になったことを備忘録的にメモ。

開始日時2021.08.06(金)19:03

終了日時2021.08.09(月)23:56


1)配送料の負担、出品者か落札者か

以下にメモを書きましたが、私は出品者負担です。

 https://eastriver229.blogspot.com/2021/08/blog-post_28.html

2)配送の3cmの壁

 ネコポス(22.8㎝x31.2㎝x3㎝)やゆうパケット(厚さ3㎝で3辺の合計が60㎝以内)は厚さが3㎝まで、それを超えると宅急便コンパクト(20㎝x25㎝x5㎝)、380円+専用箱代70円=450円かレターパックプラス(24.8㎝x34㎝x5㎝を超えてもok、専用封筒に入ればということか)、520円となる。

出品者負担だとネコポスが170円、ゆうパケットが175円となる。3㎝以内ならばこれで送れる。

3)肌着類の使用済みは出品できないルール 

下着・肌着類を出品する場合、使用済みは出品できないとポップアップで表示されるが、多数の出品が見られる。使用済みの定義の違いなのか?

4)偽造品

これも出品してはいけないが、かなりの偽造品が出品されている、出品者自身が認識していない場合もあるが、意図的な出品もある。 

5)出品の写真

これは素人的にはハードルが高いが、あれこれ挑戦して見栄えが良い写真を撮影するしかない。撮影ブースは必携かもんな。

6)価格設定の視点

整理目的での出品なのか、儲けようとしての出品なのか、それとも両方の視点なのかで価格設定が変わってくるのだろう。オークションなので1円からでもOKだが、リスクを伴う。


Friday 6 August 2021

シラクーサとヴェネツィアのサンタ・ルチア

サンタ・ルチア(聖ルチア)、イタリアの聖人の中でもよく知られている。ナポリ民謡にも謡われているが、私の視点はヴェネツィア・サンタ・ルチア駅、そのヴェネツィア・サンタ・ルチアが元々はルチアが殉教し埋葬されたシラクーサのサンタ・ルチアでありコンスタンティノープルを経てヴェネツィアまで辿り着いた道程について、少し掘り下げてみた。きっかけはNHKのヨーロッパ縦断鉄道の旅(5)である。長らく疑問だったことである。

ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅、1991年1月
 
シラクーサのサンタ・ルチアのシラクーサは、シチリア島南東部に位置するシラクサ県の県庁所在地がシラクーサSiracusa市である。シラクーサにサンタ・ルチアを守護聖人とする信仰があり、聖ルチアの日は1213日、もっとも夜の長い日(冬至)、に祝祭が行われる。また、サンタ・ルチアはナポリの船乗りたちの守護聖人でもあり、サンタ・ルチアというナポリ民謡はよく知られているし、同名の港もある。
 
Santa Luciaのルチアはラテン語の光から派生した名前である。聖ルチア伝説が伝播したのは中世のこと、ディオクレティアヌス帝施政下のシラクーサでルチアは西暦3041213日に殉教した。彼女の犠牲はローマに広まり紀元6世紀にはルチア信仰の守護者とし、教会全体で讃えるようになった。
 
その伝説は、ローマ人であったルチアの父の死後、母エウティシアは4年あまりも腹下しに苦しんだ。ルチアは聖女シチリアのアガタの奇跡を聞きつけ、ミサに参加し母エウティシアの病が癒されるよう、母子は聖アガタの墓前で一晩中祈り続けた。いつしか母子は眠ってしまうとルチアの枕元に聖アガタが姿を見せ、「私がそうしたように、あなたはすぐシラクサの栄光となるのです」とのお告げがあった。そして母エウティシアはたちまち全快した。
 
シラクーサに戻ると母エウティシアはルチアを政略結婚させようとしたが、ルチアは自身の処女を守るために、全財産を売り貧しい人のために施したいと拒んだ。ルチアは自分にはより高貴な婚約者(キリスト)がいると逆に母エウティシアを説き伏せた。
 
しかし、思いのままにならない婚約者はルチアに怒り、彼女を神への犠牲として火炙りにすべきだと密告し、捕まり拷問を受けることとなる。しかし、ルチアを引き立てに来た兵士たちは、彼女を動かすことができなかった。それはルチアが聖霊に満たされ、山のように強固な存在となっていたからである。牛の一群にルチアを繋いでも動かなかった。ルチアの喉元に剣を突き立てても、ルチアは自らを迫害する者たちに予言していたのである。
 
最後の拷問としてルチアは両目をえぐり出されたが奇跡が起き、ルチアは目がなくとも見ることができた。聖ルチアの絵画や像ではしばしば黄金の皿の上に自分の眼球を載せた姿で描かれることに表れている。
 
結局どんな拷問でもルチアを動かすことはできず、その場で喉を刺されて殉教した。その場所がシラクーサのサンタ・ルチア・セポルクロ教会であり、そのことから喉の病の治癒を叶う聖人とされている。若干、説がずれるが、彼女のトレードマークであるトレイの上の二つの目は、自ら目を取り出したのちに天使によりまた瞼の中へ戻されたことに由来するとも。そのため、失った光もまた取り戻すことができる 希望のシンボルとなっている。
 


ルチアの遺体は西暦304年から1039年までシラクーサのサンタ・ルチア・セポルクロ教会に埋葬されていたが、イスラム教支配地になったことから1039年にコンスタンティノープルへ移された。
 
1202年、ローマ教皇インノケンティウス3世によって呼びかけられシャンパーニュ伯をはじめとするフランスの諸侯を中心として第4次十字軍が組織され、1202-1204年に遠征した。その輸送をジェノバやピサに呼びかけたが最終的にはヴェネツィ共和国へ依頼された。この十字軍の当初の目的はイスラム教徒の本拠地であるサラーフッディーンが興したアイユーブ朝の都カイロを攻撃することであった。
 
ヴェネツィアに集結した十字軍への参加者は予定した3万人の1/3しか集まらず、ヴェネツィアへの船賃が不足し出航できなくなった。そこで第4次十字軍はハンガリー王保護下にあったカトリックのザラ(現クロアチアのザダル)を攻略(カトリックがカトリックを攻撃)し船賃の補填にした。
 
ところがここで東ローマ帝国の亡命皇子アレクシオスが帝位獲得の助力を第4次十字軍へ要請してきた。アレクシオス皇子の父は皇帝イサキオス2世だったが、弟アレクシオス3世により支配権を奪われており、正当な帝位を回復することを画策していた。そこで第4次十字軍への見返りとして20万マルクの支払い、東ローマ帝国の十字軍への参加、東西教会の統合を提示した。モンフェラート侯とヴェネツィアはこれに賛成し、十字軍士の中には躊躇したり別行動をとったが大方の者が同意した。
 
1203年、第4次十字軍がコンスタンティノープルに到着し、皇帝アレクシオス3世に退位を要求したが固辞され、海から陸からの攻撃が開始され、その途中、皇帝アレクシオス3世は逃亡した。城内ではイサキオス2世を復位させて城門を開いた。そして、父イサキオス2世とともに共同皇帝として亡命皇子アレクシオス4世が即位した。
 
しかし、東ローマ帝国の国庫には約束しただけの資金がなく、東西教会の合同にも正教会側の激しい抵抗があり、即位したばかりのアレクシオス4世には新たな徴税能力なく、結果として第4次十字軍との約束を果たせなかった。
 
12042月、先帝アレクシオス3世の婿であるムルヅフォロスが共同皇帝であるイサキオス2世とアレクシオス4世を殺害してアレクシオス5世を称したことにより、第4次十字軍は東ローマ帝国と決裂した。
 
12044月、第4次十字軍は再びコンスタンティノープル攻撃を開始し、城内のヴェネツィア人が東ローマ側の抵抗にまわり、十字軍側が城内への侵入に成功たことからアレクシオス5世は夜更けに逃亡し、代わって皇帝となったラスカリスも抵抗を断念し逃亡した。東ローマ帝国側は抵抗をやめたが、城内に侵入した十字軍はコンスタンティノープルで破壊と暴行の限りを尽くした。アギア・ソフィア大聖堂に立てこもった聖職者、修道士、修道女、市民たちを含めて暴行・殺戮を行い、一般市民・修道女の別を問わず女性達は強姦された。
 
この略奪の過程でサンタ・ルチアの遺体も1204年にヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マジョーレ教会へ移され、1280年に遺体と遺品はヴェネツィアのSant Maria Annunziata教会、後のサンタ・ルチア教会へ移された。
 
Santa Lucia alla Badia Church
https://www.secretsiracusa.it/en/where-to-go/santa-lucia-at-the-badia-of
-syracuse/
 
1513年、ヴェネツィア共和国はフランス王のルイ12世にサンタ・ルチアの頭蓋骨
を贈り、フランスのブールジュ大聖堂 Cathedral of Bourgesへ埋葬された。()
 
1860年、鉄道駅建設のためにサンタ・ルチア教会は取り壊され、サンタ・ルチアの遺体と遺品は近くのサン・ジェレミア教会へ移され、現在に至る。
 
Santa Lucia (St Lucy)
https://www.college-optometrists.org/the-college/museum/online-exhibitio
ns/virtual-art-gallery/santa-lucia-st-lucy-.html
 
このような経緯を辿ってサンタ・ルチアの遺体はシラクーサからコンスタンティ
ノープルへ移され、その後ヴェネツィアへ、頭蓋骨はフランスブールジュ大聖堂へ(記述がある文献となない文献がある)、残りの遺体と遺品は現在もヴェネツィアのサン・ジェレミア教会に眠っている。そして、ヴェネツィアのサンタ・ルチア教会跡地に建てられた鉄道駅は、ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅と称している。
 
サン・ジェレミア教会
Campo San Geremia, 334, 30121 Venezia VE, イタリア

市口桂子『ヴェネツィア・ミステリーガイド』白水社、2010年
 
★☆☆メールマガジン「世界街角通信MM」第335 202285日より

Wednesday 4 August 2021

新型コロナワクチン接種(職域接種、モデルナ社製)メモ

区から接種券が届いたのは6月26日、64歳以下で基礎疾患ありと申告したので通常よりはやや早い発送だったと思う。その時点で既に職域接種の予約が6月16日受付開始、6月21日より接種開始との連絡があり、当日の夜に予約した。その時点で2週間先まで埋まっていた。この職域接種、接種券がなくとも予約を受け付ける柔軟な体制であった。

1回目接種日7月6日

7月6日に新型コロナワクチンを接種した。運良く、である。ワクチンはモデルナ社製、武田薬品のシールが貼ってあった、これは輸入元ということらしい。2回目は4週間後の8月3日に予約を入れた。ワクチン接種後、微熱が出た。昨晩寝る前、37度1分から37度4分、今朝には平熱に戻った、やや倦怠感がある。接種した腕がやや痛む、注射自体はほとんど痛みはない、筋中だから仕方がない。80年代後半にA型肝炎生ワクチンを半年毎に接種していた、その時の筋中は臀部だった、このワクチンは量も今回のより多かったと思う、それに、けっこう痛かったな。

2回目接種8月3日

本日8/3、2回目のワクチン接種(モデルナ)でした。1回目同様、18時ごろになって微熱、37.1度、接種部の腕はやや痛みを感じる程度、怠さはない。2回目は翌日に38度超の熱が出たと知人の情報。夜中2時に悪寒がし38.1度へ、4時に解熱剤服用(500㎎)、8時37.8度、10時37.2度、12時に平熱36.1度に。一旦、平熱に戻ったが13時過ぎに37.1度の微熱、再度、解熱鎮痛剤を服用(250㎎)、その後再度服用(250㎎)、18時に微熱37.1度、解熱剤服用(250㎎)、寝る前に再度(250㎎)。翌朝8/5には平熱に、朝36.0度だった。

解熱鎮痛剤、普段は服用することはないが、お世話になった。主成分がアセトアミノフェン(米国一般名)、別名パラセタモール(国際的一般名)のパナドール、タイレノール、日本ではカモナールである。パナドール(アンマンで購入)とタイレノール(イスタンブールで購入)を服用した。

https://eastriver229.blogspot.com/2019/04/blog-post_35.html



イスタンブールで購入したTYLOL、パラせたノール500㎎、カフェイン30㎎と表記、更に、パッケージには点字が刻印されている。