群馬県多野郡上野村、この地方自治体の名前を日本全国へ知らしめたのは、1985年8月12日、日本航空123便がこの村の御巣鷹山へ墜落したからだ。私の友人にこの上野村出身がいる、知り合ったのはその事故の翌年の1986年、そのときの説明が日航機が墜落した村出身との説明だったこともあり、脳裏に焼き付いた。
今日、本当に久しぶりに彼に会った。当時の上野村は人口が減少する過疎の村との印象だったが、今回、改めて調べてみたら大きく変わっていた。人口は減少し1300人程度であるが、平成の大合併にも参加せず、2006年以降は地方交付税の給付を受けていない、財政力指数は2007年で1.27(県内一)等。
その理由は、東京電力神流川発電所および上野ダムが建設され、固定資産税収が急増したことが最大の要因となっている、そして、電源三法の交付金による公共施設整備もある。
そして、意識的に非常に遠かったが実際に車を走らせてみたら、2時間半、150キロの距離だった、全長約3.3キロの湯の沢トンネル(県道45号)の完成も寄与している、関越自動車道練馬ICー下仁田ICー上野村と走ったが、私の住まいから練馬ICまでが結構な時間がかかる、そして復路はこのIC出口での渋滞が待ち構えていた。練馬以南の外環が整備されれば短縮されるだろう、ヤマメの塩焼き、御馳走樣でした!
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