1985年7月1日(月)
午後3時ごろだろうか、ナホトカ港に着岸、下船し、入国審査、税関審査を終え、 建物の外で待っていたインツーリストの添乗員と中型バス(LAZ-697R)でシベリア鉄道ナホトカ支線(極東鉄道)の太平洋駅(チーハオケアンスカヤ))へ下船した全員で移動した。バスの中でインツーリストの添乗員はロシア人と朝鮮系のハーフと自己紹介し、オプションツアーを申し込んだ人はバスに残ってくださいと説明した。私は申し込んでいなかったので太平洋駅で降りて、列車へ乗るまでの間、駅構内というか線路脇の見慣れない風景の中でぶらぶらと過ごした。後でツアーに参加した人に聞いたところ、日本人墓地墓参と市内観光だった。
チーハオケアンスカヤ(太平洋)駅、ホームという構造物は線路と同じ高さのスペースであった。
ナホトカはかつてのシベリアの玄関口、ナホトカ航路で横浜-ナホトカが結ばれていたが現在は新潟-ヴラジオストックに変わっている。1859年ロシア軍艦が漂流中偶然波静かな入り江を発見した。このとき”ナホトカ(ロシア語で掘り出し物の意味)”といったのが地名の由来。また、太平洋戦争後、ソ連邦の日本人抑留者を送還する港としても知られている、市内に日本人抑留者の墓地がある。
シベリア横断鉄道は、ヴラジオストック(モスクワから9,297㎞)-モスクワ間を指すが、共産主義時代ヴラジオストックへの外国人立ち入りが制限されていたため、ナホトカ支線、極東鉄道Тихоокеанскаяチーハオケアンスカヤ(太平洋)駅(256㎞)からヴォストーク号に乗車し、途中ウラジオストク駅から82㎞に位置するウグロヴァヤ駅手前でシベリア鉄道本線に合流(太平洋駅から173㎞)し、ハバロフスクでロシア号に乗り換えるのがシベリア鉄道の旅だった。ここからモスクワまで9,446km、現在はウラジオストックからなので9,297kmとなる。
ナホトカ・チーハオケアンスカヤ(太平洋)駅 から乗車した極東(ヴォストーク)号の列車はロシア号と同じ客車で、二等寝台車の4人部屋(2番ベッドx2)、一等寝台車は二等と同じつくりで1段ベッドの2人のコンパートメント、鉄道軌道幅がソ連邦は広軌(1524㎜、新幹線の標準軌は1435mm)を採用しており、特に天井が高、規格がゆったりしていた、客車は確か東ドイツ製だった、窓の下部に銘板があった、車両は16両編成だったと思う。
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