1985年7月2日
ナホトカ・太平洋駅から極東(ヴォストーク)号2等寝台車に乗り、翌日の1985年7月2日、昼頃にハバロフスク駅に着いた。ここでシベリア鉄道本線を走るロシア号、ウラジオストク発モスクワ・ヤロスラブリ行きに乗り換えだった。
運良くか悪くか、乗り換え時間まで1時間以上あったのでハバロフスク駅正面、ロータリーがあり、正面に大きな通りが真っすぐに延びていた。やや小高い場所にあり緩い下り坂のようだった(アムール川に向かって緩く下がっていた)。黄色いバスとボルガのタクシーが走っていた。その左手には集合住宅が立ち並んでいた。
興味本位で集合住宅地に入って写真を撮っていたところ、ミリッツィアの歓迎を受けてしまい、さらに署まで御招待され、その後、しばらく調書を取られて、手書きの書類に署名して、その後、フォルムを暴露された。気になっていたのは当然ながら乗り換えのロシア号のこと、何を言っても通じず、まあ、ロシア語しか通じなかったのだろう、そのまま成り行きを見守らざるをえなかった。
そして放免、ミリッツィアのUAZに乗せられ市内特別ツアーでインツーリストホテルへ、どうもこのホテルの宿泊者だと思ったようだが、インツーリストでは私の拙い英語が通じでシベリア鉄道の乗客だというのが判明し、さらに、ミリッツィアはUAZでハバロフスク駅のホームまで入って行った。丁度その時、私の荷物(バックパック)を降ろしているところ、ロシア号の出発直前のに滑り込むという技を御披露してくれた。
市内特別ツアーでは車窓の風景などほとんど覚えておらず、疾走してしていたことくらいしか記憶にない。そして、ロシア号に乗り込んでからインツーリスト添乗員に聞いたところ、彼女が尽力してロシア号の出発を1時間程度待たせていたようで驚くと同時に救われた気持ちでいっぱいだった。
フィルムは招待所の署で暴露されたので、この後はない。フィルムを入れ替えたばかりだったのだろう、ひとつ前のフィルムに辛うじてハバロフスク駅前が写っていた。
No comments:
Post a Comment