1985年7月5日(土)、その2
イルクーツクのインツーリストホテルからバイカル湖畔の観光村Listvyankaへバスで向かった。約70kmの距離、小一時間のバスの旅だった。横浜大桟橋から一緒だった旅行者のなかでイルクーツク下車した全員(目的はバイカル湖観光のみ)が参加していた。
長袖か上着が必要な気温だった。観光村Listvyankaの近くでバスを下り、夏の草花、村の木造家屋、装飾した木窓、道端で遊ぶ子供たち、ハイライトは木造の聖ニコライ教会、蝋燭が灯され礼拝が行われているようだった。ここだけ特別なのだという説明だったような。そのあと、湖畔からやや小高い場所にあるバイカルホテルの食堂でバイカル湖産の白身魚オームリのヨーグルトソースかけを味わった。
バイカルとはタタール語で豊かな湖という意味、イルクーツクには、江戸時代、漂流民の大黒屋光太夫一行がしばらく滞在している。第一次世界大戦の連合国側として日本軍は1918-22年にシベリアへ革命軍に捕らわれたチェコスロバキア軍の救出を目的に共同出兵を行ない、イルクーツクにも多くの兵力が駐留した。
バイカル湖は世界で最も深い湖1620m、そして大小336の河川が流入し、流れ出る河川は唯一アンガラ川だけである。エニセイ川へ合流して北極海へ注ぐ。
この近くに日本人抑留者墓地がある、そのことは数年前に知ったに過ぎない、ロシア企業が日本人墓地を整備したというニュースからだ。
リストヴャンカ(バイカル湖畔の村)の日本人墓地
No comments:
Post a Comment