Sunday, 12 January 2025

サンファニーコ橋

 太平洋戦争の激戦地だったレイテ島とサマール島を繋ぐSan Juanico Bridge、Philippine-Japan Friendship Highway bridge、以前はMarcos Bridgeと呼ばれていたフィリピンで最長の橋梁、2.16km、1973年に供用を開始した。資金は太平洋戦争の戦時賠償金だった。レイテ沖開戦はこのサマール島沖合が海戦の戦場だった。2014年2月、前年に発生したスーパー台風ヨランダの復旧復興支援でタクロバンに滞在し、サマール島へこの橋を渡り何度か往復した。






Thursday, 9 January 2025

一般道で東京から名古屋へ2021/1/9

 2021/1/9

新型コロナ感染拡大による緊急事態宣言間近であったが、不要不急ではなく、母の三回忌を執り行うために東京から一般道で実家のある名古屋郊外まで走ってみた。母の命日は正教の降誕祭でもあったが、昭和天皇が崩御した日でもあった。

東海道、国道1号を西へひた走った。所要時間は当然ながら高速道路よりかかったが車窓の風景は東海道の宿場町を行くように東名・新東名よりも随分と楽しめた。

そのルート(括弧内は有料道路料金)は目黒通り・環八から、(神奈川県)、第三京浜(390)>横浜新道(320)>新湘南BP(410)>西湘BP(270)>箱根新道>(静岡県)沼津BP>富士由比BP>静清BP>岡部BP>藤枝BP>磐田BP>浜名BP>潮見BP(藤枝BP、磐田BP、浜名BP2005年に無料化した)。(愛知県)潮見BP>

名豊道路>国道23号BP。

潮見BPのROWは4車線分確保されているが、開通しているのは2車線のみでノロノロとなった。潮見BPの後、豊橋東ICから国道23号である名豊道路(豊橋東BP、蒲郡BP、岡崎BP、知立BPの4BPから構成)へ入り、名古屋へ。国道23号は国道1号のバイパスの機能がある。蒲郡BP西区間はミカン農家の同意が遅れ事業が遅延、現在、建設中だった。山の中腹から見た蒲郡は温室だらけだった。知立BPの終点は豊明ICだがそのまま名四国道(国道23号BP)となり四日市で国道1号に合流する。6車線で名古屋南部を通過するがBPながら信号が多く頻繁に停止。その後、市境を超え海部郡飛島村、弥富へ進む。

総走行距離395㎞、走行時間8:52、平均速度45㎞/h、燃費11.9km/L、有料道路料金1390円。名古屋市内へ入った時間が夕方のピークに差し掛かり予想よりやや時間がかかった。

道の駅富士からの富士山、箱根新道から三島へ下る時に富士山が見えたが停車せずだった。

静岡へ向かう旧清水市付近の連続立体事業

静岡へ向かう旧清水市付近の連続立体事業

蒲郡バイパス東地区の建設中区間

蒲郡バイパスの未建設区間、温室が多かった



Sunday, 5 January 2025

一般道で東京から名古屋へ(2023/1/5)

 2023/1/5付け




実家へ行く途中の新東名高速の浜松SAでNHKニュース9を観ながら休憩中。下りSAのミュージックスポットはローランド、上りSAがヤマハだった記憶だがカワイはどこ?何れも日本を代表する浜松の企業である。

ニュースは大河ドラマ絡みなのか、徳川の話題が多い、公共放送なれど我田引水、、、。

今回は遅れて正月を実家で、ではなく1/7が母の命日なので、年に一回くらいはと、クリスマスのお誘いもあったが、定飯(月命日前にお経をあげてもらう)にあたるので赴くことにした。実家界隈、月一で定飯があるが出席する機会は年1-2回だ。

コロナ禍になってから経路を変えながら往復している。2020年はそんなに長引くと考えていないので、従来どおり新東名を、2020年末ごろから長期化の兆しが見えてきたので以前から走ってみたかった一般道で往復、これは神奈川県内のルートが2通りある。環八から第三京浜、横浜新道、西湘バイパス、箱根新道を経て沼津へ。

もう一つは国道246号を環七下馬から直走り、沼津で国道1号線へ、となる。静岡以西は国道1号線バイパス、浜名バイパスから国道23号バイパスへといつも同じ、蒲郡区間のバイパスが建設中なので市街地を走るがそれ以外はバイパス。以前、静岡県内の有料だった国道1号バイパスが無料になりかなり走りやすい。一般道での休憩は道の駅、季節の野菜や果物をよく買っていた。

されど一般道は高速道路利用より倍近い時間を要するのでかなり疲れること(長時間運転なので腰にくる)をひしひしと認識して2022年になってからは、高速道路に戻っている。されど20代に仕事で関係した浜松(当時は天竜市)に寄り、秋野不矩を知り、本田宗一郎出身地を見、名物のゲンコツハンバーグを嗜み、偏に浜松の元同僚のおかげである。静岡市もいつも通過なので、寄ってみたいが一泊する余裕が必要だろう。

新東名について一言、静岡県内は3車線で路肩も広々として走りやすいが愛知県に入ると2車線になり路肩もほんの少しで走り難い。豊田JCT手前の矢作川架橋手前から3車線になり直進するとそのまま伊勢湾岸道へ、新東名はここまでなのか。豊田JCTから東名に入るが2車線となり、新東名の接続本線は伊勢湾岸道のようだ。経路は直進して豊明ICで下りて国道23号(名四国道)からと名古屋IC+名古屋第二環状線との選択になる、最近は前者が多い、深夜ならば高速道路と同じ状況で空いている。

東名と伊勢湾岸道と同じ会社だと思うが、トイレが東名のが新しくきれいだということを刈谷ハイウェイオアシスで気がついた、そもそもSAPAではないのか、ここは巨大で観覧車まであるが、夜はトラックばかり、本線への道路の路肩に大型車が多く駐車しているのは駐車場のが空いていないのか?

Monday, 23 December 2024

東京の銀杏並木

 神宮外苑の銀杏並木をはじめ東京都の街路樹にはイチョウが多い。また、東京都の木はイチョウである。それにはそれなりの理由がある。

1耐火性が高く、火災の延焼を防止する、

2地震の際、建物が道路上への倒壊を防ぐ、

3排気ガスに強い、寿命が長く、苛酷な環境でも生き残れる、

4景観が美しい、など。

イチョウは葉や幹に水分を多く含むため、耐火性が高く、火災の延焼を食い止める効果が期待できる。江戸時代には防火用の空地である火除け地にイチョウが多く植えられ類延焼を防いだ。マキ、スダジイ、サンゴジュ等も耐火性が高い。関東大震災の際に浅草寺を大火災から守ったという実績もある。

阪神淡路大震災の時には、瓦礫の道路上への流入を街路樹が防いだため、救助や輸送活動がスムーズに進んだという報告もある。

イチョウは排気ガスに強く、寿命が長いという特徴もある。街路樹は、排気ガスや騒音、夏の強い日差しなどの環境問題に対処したり、ドライバーの視線誘導に役立ったりする役割がある。

写真は神宮外苑、2024/11/30。






Saturday, 21 December 2024

塾監局のサザンカ(富士の峰)

 このサザンカは富士の峰という品種、実家の庭先のと同じなので気が付いた。先日、所用で慶應三田キャンパスへ行った時に塾監局の玄関脇に白い大輪を咲かせていた。






Friday, 20 December 2024

師走に入り、師は走らず弟子が走る

 2024/12/18

11月末日期限のを済ませ、師走に入り、師は走らず弟子が走る、と考えながらもぼーっとしてしまい、その間に中旬を過ぎ、何か忘れいると今朝確認したら、ある手続きを失念していた。スケジュールに入れておらず、書類を重ね置きしていたからだが、注意力散漫過ぎると自覚。慌てて午後から走り回った、認識不足で無駄もあったが。

写真は、昨日、手土産を買いに行った伊勢丹新宿店の年末ディスプレイと地下食品売り場のトリュフとキャビア、紅茶売り場の奥、この時に気が付いた。





Tuesday, 17 December 2024

伊勢丹新宿店

 新宿三丁目交差点に建つ伊勢丹本店、新宿の顔であろう。

アールデコ様式を取り入れた百貨店は、ほてい屋として関東大震災後に大正15年1926年に竣工、伊勢丹は新宿通り側の隣接地に昭和6年1931年に土地を取得して神田から移転、昭和10年1935年に経営危機に陥った隣のほてい屋を買収して現在の伊勢丹新宿店となった。大正時代の歴史的建造物、東京都選定歴史的建造物に指定されている。

ちなみに三越日本橋本店は大正3年、1914年に竣工、重要文化財である。

パリのオスマン通り38, 40 42 Boulevard Haussmannに建つギャラリ・ラファイエットGaleries Lafayetteは1912年にガラスと鉄を使ったドームとアール・ヌーヴォーの階段が竣工し開業した。





Monday, 16 December 2024

ホテル・カザフスタン

 アルマティの冬景色、10年くらい前(2009年)にこのホテル・カザフスタンに泊まったことがある。

当時、ホテル少なくやっと取れたが、日本のビジネスホテルもびっくりするほど狭い部屋だった。ベッドの他、歩くスペースだけ、荷物は広げられなかったが、バストイレはゆったりしていた。それでバスにお湯を溜めゆったりと身体を温めた。

ソ連時代に建てられたホテルだが、こんな設計基準があったのか、と。翌日、他の部屋を覗いたが私の部屋が特別に狭かったようだ。





Friday, 13 December 2024

カイロ・イスラム地区

 2007/12/13、カイロ・イスラム地区の南門の尖塔Bab Zuweilaに登って眼下を見下ろすと足が竦んだが、素晴らしいカイロの俯瞰だった。


日本語のカイロは英語のCairoに由来するが、アラビア語ではアル゠カーヒラ al-Qāhir、若しくは通称のエジプトを意味するミスルも使われる。


7世紀、東ローマ帝国支配からイスラム帝国時代になり築かれた軍事拠点であるフスタートが起源である。


969年にファーティマ朝になりフスタートの北に勝利の町を意味する「ミスル・アル゠カーヒラ」としてカリフが住む宮殿と、イスマーイール派の学術センターとして建設されたアズハル・モスクを中心に1km四方の城砦都市が築かれた。政治機能が集約されたが経済はフスタートに残された。


12世紀に入るとファーティマ朝は混乱を極めるようになり、十字軍にも有効な手が打てなかった。


1169年にサラーフッディーンが政権を樹立、アイユーブ朝を興し、ファーティマ朝の政府施設を接収し政府機能の一切をカイロに集約させた。


1382年にアズハル大学の隣に宿場が作られ、以来大規模なスークとなっているハーン・アル=ハリーリーKhan Al-Khaliliが現在も賑わいのある商業地区となっている。

これが現在のカイロ・イスラム地区である。

Wednesday, 11 December 2024

エミレーツ航空便、2014年当時

 2014/12/11付け

成田or羽田?エミレーツ航空、羽田便があると聞いたので今回のウガンダ出張は往復ともそうしたが、羽田発着は一長一短だ。

出発が午前0時30分なので前日から羽田へ行く必要があるが、エンテベにはドバイでのトランジット2:30で乗継、当日13:25に着くので充実した一日となる。他方、出発時刻から日数がカウントされるので成田便を利用すると移動に二日かかることになる。

復路、羽田便はドバイでのトランジットが長い、エンテベ発15:30でドバイに21:35に着き、羽田便は翌朝08:15発、ホテルを付けてくれるが空港の外なので入国する。食事付きだが、閉店間近にチェックインし、朝食前にチェックアウトすることになる。寝られるようでゆっくりもできない。それにネットは有料だし使い勝ってが悪い。以前のように空港内のエアポートホテルならば良いが。ビジネスクラスならばラウンジの中にソファーベッドがある。

成田便は午前2時台発なので成田着が午後5時台、他方、羽田便は08:15発で22:45着と成田から東京への時間を足しても成田便のが早い時間に自宅に戻れる。

小腹が空いたのでホテルを出て空港に戻ってきた、そしたら丁度、成田便が搭乗開始だった。

フライトスケジュールからエミレーツの場合は羽田発、成田着が使い勝ってが良さそうだ、私的には次はトルコ航空にしたい。

ドバイは拡張してターミナルA, B, Cと3ターミナルある、Aが新しくBCとは新交通システムで接続されている。出入国はBCターミナルで行われる。

ターミナルの拡張が進んでいるがバス利用が多い、今回も到着/出発ともバスだった。