今年のGWは5/10までと勝手な解釈をしていたところ、話が噛み合わないので、よく見たら5/6、今日まででした。なぜか拡大解釈で4/25あたりから5/10と長いなあと思っておりましたが勝手な拡大解釈でした。そして雑務を処理するとGWが始まる前は考えていたのですが、殆どの懸案が手に付かず仕舞い、免罪符的に次の認識の訂正をしておこうかと。
パラグアイの東部、ブラジルとの国境、パラナ川右岸にCiudad del Esteという自治体がある、左岸はFoz do Iguasuという街であり、ブラジルとアルゼンチンの国境となっているイグアス川がパラナ川へ合流する上流にイグアスの滝(両国の国境)がある。
今頃になって、このCiudad del Esteという都市名が1989年に変更された都市名だということを認識した。2011年にアスンシオンに3ヶ月滞在した時にこの近くのLago del Rio Yguas(貯水池)とイタイプHPPを視察したときに、エステの手前のイグアス日本人移住地内のペンション福岡に宿泊したが、その時はエステと呼んでいたが、しっかりと認識していなかったようだ。それに、知人の赴任地がエステと聞いていたが1980年代中頃から後半なのでCiudad del Esteではなく、その前の都市名だったということになる。わかりにくいのでエステと説明してくれたのだろう。
そのCiudad del Esteの都市名はパラグアイの現代史を紐解かなければならないが、概ね以下の経緯を経ている。
1940年から1948年の間、パラグアイはイヒニオ・モリニゴ将軍によって統治された。彼の統治に対する不満が1947年のパラグアイ内戦を引き起こした。内戦後、アルフレド・ストロエスネル将軍は一連の陰謀に関与し始め、1954年5月4日の軍事クーデターを政権を奪取し、大統領に就任した。
1950年代までに、パラグアイの社会と政治の安定は、第二次パラグアイ内戦、チャコ戦争、そして前大統領イヒニオ・モリニゴの親ナチ党への共感など、20年以上にわたる危機によって深刻な打撃を受けていた。
エステはパラナ川Paraná Riverの航行可能な上流限であり、現地語でTacuru pucu ("Tall Termite Hill" in the Guarani) と呼ばれていた。1957年2月3日、政令により自治体として Puerto Flor de Li ("Port Lily Flower”)市が創設立され、その後、ストロエスネル大統領名からPuerto Presidente Stroessnerへ変更された。そして、1989年2月2日、ロドリゲス将軍による軍事クーデターによりストロエスネル政権が打倒され、その後の国民投票で”Ciudad del Este”となった。アスンシオンから東へ327km、パラグアイ第二の都市で、パラナ川を挟んでブラジルとアルゼンチンと国境を接している。