2018/2/25、
バベルの塔のようなアンマンのホテルLe Royal, 3rdサークル。このホテル内に旧JBIC事務所があった。このLe Royal Ammanにはあまり縁がなかったが、このホテルの裏側に良さげなレストランが多くあった。
★世の中の事、日本の社会、政治外交、美しいもの、旨い物などなど、身近な出来事から世界の果てまで。
2018/2/25、
バベルの塔のようなアンマンのホテルLe Royal, 3rdサークル。このホテル内に旧JBIC事務所があった。このLe Royal Ammanにはあまり縁がなかったが、このホテルの裏側に良さげなレストランが多くあった。
2024/11/24、1年少し前のスリランカのサンデータイムズの記事、仲裁案件が結審。元同僚が共有してくれた。14仲裁案件中、11仲裁案件についてスリランカの高等裁判所が未払い内容を認めてセイロン電力庁へ日本企業JVへ支払うよう命令が下された。
2023/2/21
母が畑(頼まれて借りた)に植えたソシンロウバイ、今、黄色い花が咲いている。昨年、所有者から返却要請があり、無料での耕作依頼だったのではないか、されとて所有者から返せと言われたので返すのですが、更地にしてだろうと、ソシンロウバイを伐採しに来た。隣の畑も借りているが、別の所有者、そこにはソシンロウバイとロウバイなどなどが植っている。そこで気が付いた2種類の蝋梅。
内側の花弁が黄色いのが素心蝋梅(ソシンロウバイ)、花弁が赤紫色をしているのが蝋梅(蝋梅)、素心蝋梅は園芸品種。名前に「梅」とついているので梅の仲間「バラ科サクラ属」と誤解されやすいのですがロウバイは「ロウバイ科ロウバイ属」の植物。
ロウバイは中国原産で江戸時代、17世紀頃に渡来、名前の由来は、ロウ月(12月)に咲く梅との説と、花が梅と同じ時期に咲き、香りもよく似、花弁の色が蜜蝋に似ていることからとの説がある。花は葉に先に1・2月頃に開花する。
ロウバイは生薬としても知られており、ロウバイの花蕾を『臘梅花』『黄梅花』として薬用に用いる。1月中旬頃に開花前の蕾を取り、日陰干しで風乾させ、生薬とする。薬性は温、薬味は辛、無毒、中国では、暑を解し津液を生じる効能があり、熱病煩渇、咳嗽、火傷を治すとされ、民間薬でも咳、火傷などに用いることがあるとのこと。
臘梅や雪うち透かす枝のたけ 芥川龍之介
臘梅の臘の花弁のやわらかき 鎌田健一
ロウバイが長くなったが、実家の台所、朝は5℃だった、即ガスファンヒーターを付けたが、この暖かさは日本家屋なので継続しない、切ると直ぐに下がっていく。温度計は昼間、8℃弱、畑仕事から戻って昼食を食べた時、今の季節、畑仕事をしていても汗までかかない程度なので丁度良い。
最後の写真、珍しくゴーっと飛行機の音がしたので見上げた、いつもなら羽田空港南風時の着陸体制の飛行機がひっきりなしに飛んで来るが、ここでは稀。北西の方から輸送機3機編隊が3回通過し南東へ飛んで行った、各務原基地からだろうか?
マースレニツァ
文字通り「甘いクリームバターの季節」を意味するマースレニツァは、活気に満ちた1週間にわたる民衆の祝日です。四旬節の前の週に行われます。四旬節はパーティー、世俗的な音楽、ダンス、その他精神生活を妨げるものから遠ざかるため、マースレニツァは、祈りを捧げ、慎み深く、内省的な四旬節にはふさわしくない社交活動に参加する最後の機会となります。マースレニツァは、大量のブリヌイ(パンケーキ)を食べ、そりに乗ったり、焚き火を焚いたり、藁で作ったマースレニツァの女神像を燃やしたりすることから、「パンケーキ週間」とも呼ばれます。もともとは冬の終わりを祝う異教の儀式でしたが、後にキリスト教の伝統の一部となりました。正教会が認める唯一の異教の祝日であり、7週間の断食期間である四旬節の前の喜びの時となります。
2026年の祭りは2月16日から2月22日まで行われます。
週ごとの日課:
1. 月曜日:歓迎(藁人形を作る)。
2. 火曜日/水曜日/木曜日:「ラコムカ」(美食家)- パンケーキを堪能し、祭りの会場を訪れる。
3. 金曜日/土曜日:義母を訪ね、家族の集まりに参加する。
4. 日曜日:「許しの日」- 人々は許しを請い、冬の人形を燃やして祭りは終わります。
祝賀行事:雪合戦、そり遊び、ダンス、民族音楽、友人や家族との交流などが行われます。祝賀行事はロシア全土の公園や広場で行われ、モスクワなどの大都市ではコンサートや屋台などのイベントが開催されます
バター入りマーガリンとは
マーガリンなどに多く含まれるトランス脂肪酸。心臓病のリスク上昇が懸念されることから、アメリカでは2018年6月から食品への添加禁止が決まりました。
1996年1月に初めて崩壊後のソ連邦構成国家の一つ、ウズベキスタンへ出張した時に、戦後、ソ連により日本人が抑留されていたことを知り、シベリア抑留というの認識していたが中央アジアにも抑留者が移送(ウズベキスタンには約2万5千人)、働かされていのはこの時に知った、その抑留期間に約800人の日本人がウズベキスタンで亡くなり、墓地があるこを知った。日本人抑留者墓地については調査団の団長が満州からの帰還者でその辺の事情をよく認識しており、是非、墓参したいとの要請があり、旅程をアレンジしていたウズベクツーリズムに問い合わせたら、直ぐにここだと返答が返ってきて調査団一同で墓参した。
前回のオイル交換から1年を経過、約7,000kmを走行したのでオイル交換をすることにした。
純正オイルの仕様「MB229.3/3.1」、モービルのオイル適合表から以下のとおり。
E320 210055 1049 10W-40 - 7.0 8.5
使用オイル名 Mobil Super2000 10W-40 SM
使用オイル量 7.7リットル(内S-FV 0.7リットル)
純正は上記のとおりだが、ヤナセで交換した時の明細から5W-40を使っていたし、昨年、車検時のオイル交換ではMobile 1 5W-40を使用した。今回も同じオイルと思ったがMobile 1と同じMB229.3純正適合品であるCastrol Edge 5W-40のが安かったのでこちらにした。
前回のオイル交換時(車検)の走行距離、2025年1月31日、車検時142,354km
今回のオイル交換時の走行距離、2026年2月5日、149,583km
1年間の走行距離:7,229km
費用:
オイルフィルター(E210065(3.2)1,890円
オイル、Castrol Edge 5W-40 4L (MB-Approval 229.5), 2缶x7480円=14,960円、7.8L使用。
メンテナンスパックというオイル交換賃料無料を適用し費用は17,400円也。
ブルガリアの旧通貨レフ(単数、複数はレヴァ)は、同国がユーロを導入してから1か月後の日曜日に法定通貨ではなくなった。
1996年の通貨危機は市場経済移行の失敗例で、体制転換の失敗、政治と銀行の癒着、不良債権+財政赤字、通貨増刷によるハイパーインフレが重なった構造的な危機であった。ブルガリア経済はどん底、通貨・銀行・財政の全面崩壊により複数の銀行が実質的に破綻し国家が崩壊寸前だった。私は1996年の年末から1997年の年明けに滞在、宿泊していたホテルからVISAでのクレジットカード決済ができなくなった旨の説明があり、支払いは現金か銀行送金のみとの通知を受け取っていた。ソフィアで最も由緒あるビトーシャホテル(オーナーが変わったのか、ケンピンスキー・ザグロフスキーホテルという名称だったと思う)だった。
この通貨危機は翌1997年にブルガリア通貨レフとドイツマルクを固定させるカレンシーボード制の導入で解決した。これしか方法がなかったのだろう、手遅れ状態だったでので。レフをドイツマルク(後にユーロ)に固定させ、中央銀行が勝手に通貨を刷れない制度とし、IMF主導の厳格な財政規律を導入した。その結果として、年率300%あったインフレは急速に沈静化、通貨への信認が回復した。ブルガリア国家が破綻寸前で短期的には重篤だった。それが、今や、ユーロ圏の一員である。
ペトロパブロフスク・カムチャツキー市を猛吹雪が襲い、非常事態宣言
オホーツク海から連続して発生したサイクロンにより、ロシアのカムチャッカ半島にあるペトロパブロフスク・カムチャツキー市は1月中旬から記録的な大雪に見舞われました。1日の降雪量は最大50mmに達し、これは月平均の約半分に相当します。市内の積雪深は51cmから133cmで、一部の観測所では170cmを超えました。複数の地域では雪の吹きだまりが3mから5mに達し、住宅の2階の窓まで達しました。
屋根から大量の雪が滑り落ち、少なくとも2人の死亡が報告されました。住民は建物の出口までトンネルを掘ったり、上層階から深い雪の吹きだまりに飛び込んだり、救急隊の到着を待ったりしました。
公共交通機関は運休となり、学校は休校となり、エリゾヴォ空港では航空便が遅延または欠航となりました。当局は、輸送と救助活動を支援するため、政府および軍の車両を派遣しました。多くの道路は依然として部分的に通行止めとなっており、屋根の雪崩や雪崩の危険性が依然として残っています。
エフゲニー・ベリャエフ市長は、除雪と救助活動のための追加資源動員のため、1月15日から16日にかけて非常事態を宣言しました。厳しい気象状況が続いており、雪崩の危険性があるため、気象警報は引き続き発令されています。