25年以上も経つのですね、スラバヤは美味しい街でした。ソプ・ブントゥット(オックステールスープ、マドゥーラ島オリジンで真っ黒)や潮州料理などなど。当時は、スハルト政権末期で若者の政治的活動が活発で宿泊していたホテルで知り合った若者の集会に誘われて相乗りタクシーでその会場へ行ったことがあります。
1995/96年はスラバヤとジャカルタ、主にスラバヤでした。スラバヤは日本海軍ゆかりの地、旧ヤマトホテル(アルメニア資本から接収したのでしょう)もありました、当時はその改装中。この地方のインドネシア料理も美味しかったのですが華僑の潮州料理、特に海鮮料理が美味しく、ホテルの近所の食堂によく通った。
敷居が高かったのは言語、皆さん、インドネシアでしか仕事をしていないような方ばかりでインドネシア語でどんどんことが進んでいった。
当時はスハルト政権末期で若者の反政府活動が活発でした、ある時、英語ができる若者に誘われるまま、軽四輪の乗合タクシーで市内を走り、集会にも出席した、後で解説をしてもらって主旨だけ認識。
その後、インドネシアとは縁がないが、なんだこれは。
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