カルカッタは初海外出張先であり、その後何度か出張、それに強烈な印象を受けたので少しは馴染みがある都市、SNSで視野に入った長距離バス、少し振り返ってみる。
ロンドン発カルカッタ行きバスが1957年から1976年まで、世界最長定期バスルートが運行していた。英国のツアー会社がユーラシア大陸横断バスツアーやアフリカ縦断バスツアーなどのツアーに同行したNHKの番組を観たことがあるが、ロンドン-カルカッタのこの長距離バスルートが下敷きにあったのかと。
1957年4月15日にロンドンを発ち、50日後の7月5日カルカッタに到着した。英国、ベルギー、西ドイツ、オーストリア、ユーゴスラビア、ブルガリア、トルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタン、インドへ、ニューデリー、アグラ、アラハバード、バラナシを経てカルカッタへ。約16000km、所要50日、料金145ポンド、バスは寝台棚、キッチン付きだった。このバスはロンドンのアルバートツアーズ社によって運行され、途中、ウィーン、ザルツブルク、イスタンブール、テヘラン、カブールではショッピタイムが設けられて、インドではタージマハル、ベナレスなど観光地滞在も組込まれていた。
このバスルートはイラン革命(1978年1月 - 1979年2月)とインド・パキスタン両国間の緊張が影響して1976年を最後に運行が停止された。計15回往復が運行から年1回の運行だったことがうかがえる。
このような多国間を跨ぐ超長距離移動には、地域情勢が影響することを如実に物語っている。ウクライナ紛争やガザ情勢の変化に伴う第三国による報復的な戦闘行為がスエズ運河ルート通行を困難にし、遠方の希望峰へ変更され、結果として所要時間が長くなり運賃が値上がった。
このバスルート上のパキスタンの例では、1947年の英領インド帝国の分割に伴いヒンドゥー教国のインドとイスラム教国のパキスタンに分かれ、パキスタンはインドを挟んで西と東に地理的に分かられた国となった。西パキスタンと東パキスタンである。
ベンガル地方の東パキスタンは政治的実権を西パキスタンに握られていて植民地的な様相を呈していた中、1970年にサイクロンが全土を襲い50万人とも言われる犠牲者が出た。市民は西パキスタンの中央政府に憤り、独立運動が広がりパキスタン軍が制圧に動き、大量の難民がインドに流入したことからインドはインドは東パキスタン独立のため介入し、1971年に3度目の対パキスタン全面戦争(第三次印パ戦争)となった。主戦場である東パキスタンへは西パキスタンから遠距離でありインドの圧倒的な勝利に終わり、東パキスタンは1971年12月にバングラデシュとして独立した。
国際情勢や地域情勢の把握は事業を運営する上ではリスク要因であり、安定した運営のためには現状把握が欠かせないのは当然ですが。
50日というのはバスを利用したツアー、定期バスというカテゴリーはるかに超えている。現在でもインターシティバスを乗り継げば、このルートでロンドンからカルカッタまで行ける。ヨーロッパ、トルコ、イランは多種多様なバス交通ルートが運行されている。ただ今はアフガニスタンが通過困難かも知れないが。
https://curlytales.com/this-was-the-worlds-longest-bus-route-from-kolkata-to-london/
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