Thursday, 6 June 2024

バラの谷カザンラクとシプカ峠

ブルガリア中部のバラの谷、カザンラクはバラ祭りの季節、ローズオイルで名を馳せている。スタラ・ザゴラ州にあり、バルカン山脈麓のカザンラク平原に開けた都市である。
 
1370年、カザンラクはオスマン帝国の支配下に入る。現代の都市カザンラクの起源は15世紀に要衝シプカ峠を守備するための軍事要塞が設けられたことに遡る。シプカ峠はバルカン山脈(スターラ山脈)を越える峠でドナウ川右岸のルーセから南下しヴェリコ・タルノヴォ、カザンラクへ、スタラ・ザゴラへ、ハスコヴォ、さらにトルコのエディルネへと至る街道の途中にある。
 
1877年から1878年までの露土戦争において、シプカ峠は、シプカ峠の戦いと命名された一連の戦いの舞台であった。
 
カザンラクはシプカ峠の南側に位置し、タンニング(革加工)、銅細工、ガラス細工、フライゼ(織物)、靴作り、樽の製造などの手工業が発達し、バラの栽培も同様に発達した。バラ精油用のバラ(ダマスクローズ、ブルガリアローズ)はインドからペルシア、シリア、トルコを経由し入ってきた。
 
その他、カザンラクにはアーセナル社JSC Arsenal AD (1924年設立)が所在し、火器、弾薬、工作機械などを製造している。火器は拳銃、AK-47タイプのアサルトライフルなどの小火器や迫撃砲、地対空ミサイルなどを製造している。工作機械ではヤマザキマザックと提携しCNC、フライス旋盤などの民生用工作機械を製造している。
 






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