Thursday, 13 June 2024

ダマスカス旧市街のレストランBeit Jabri

 1998年、ダマスカス都市交通MP策定調査で年初から年末まで数ヶ月づつ3回滞在した。調査自体は1997年末から始まっていた。

1998年2月は長野オリンピック冬季大会(2月7日から2月22日)が開催された。前年、ブルガリアのソフィアで働いていて、その時の調査会社の社長に年末に挨拶に行ったら、長野オリンピックに行くから長野で会おうと誘われていた。冗談かと思ったが、実際にブルガリア代表のバイアスロン女子の監督だと言う、そう言えば冷静崩壊後もブルガリアは幾つかの種目で世界トップレベルであり、バイアスロン女子は長野で金メダルだった。至極残念だったが、丁度、1月下旬からハノイ出張(JBICのハノイSAPROF案件)が入って再会がかなわなかった。

シリアはこの時が2回目だった。ハノイ出張の後、3月に入ってダマスカスへ、プロジェクトオフィスはダマスカス市役所公共事業局内の事務所数室を間借りしていた。未だ寒く石油ストーブを毎日焚いていた。宿はマルジェ広場(シリアの国道原点)に面したオマールハイヤンというホテル、団員のダマスカス大学教授の紹介で教え子がホテルの経営者だった。

この時、多くの団員とシリア人やスタッフが関係していた。当時は、週休2日ではなく、木曜日が半休で金曜日が休日、9:00-17:00だったが我々は19:00頃まで仕事をして、それから皆で夕食を食べに行った。この時の食事をしながらの大先輩方との雑談がその日のまとめであり、翌日の日程確認となっていた。

一緒に働いていたシリア人はホスピタリティ溢れる方々が多く、休日でもダマスカス旧市街を案内されたり、家に招かれたり、また、時々皆さんとレストランで食事をした。その中でもダマスカス旧市街のレストランBeit Jabri(古くからあるコーヒーハウス)は強く印象に残っている。1998年7-8月だったと思う、団員だったダマスカス大学教授がここを推薦した。皆さんと食事をしたのは7月だったのだろうか、夏でも夜は肌寒くなるほど涼しかった記憶だ。



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