この風景は1986-88年に何度か実際に楽しむ機会があった。当時、ドローン映像は無いので小型飛行機で遊覧飛行ツアーに参加してのこと、ルサカに住んでいたので仲間と出かけた。ビクトリアフォールズはマグマが噴き出して玄武岩大地が形成され、ザンベジ川の侵食によってできた滝、幅1.7km、高さ108m、ザンビアとジンバブエの国境になっている。
この風景は1986-88年に何度か実際に楽しむ機会があった。当時、ドローン映像は無いので小型飛行機で遊覧飛行ツアーに参加してのこと、ルサカに住んでいたので仲間と出かけた。ビクトリアフォールズはマグマが噴き出して玄武岩大地が形成され、ザンベジ川の侵食によってできた滝、幅1.7km、高さ108m、ザンビアとジンバブエの国境になっている。
遊覧飛行はジンバブエのビクトリアフォールズタウンのUnited Air Charters所有であろうPiper PA-23-250 Aztecが機材だった。パイロット、助手席、後部座席3人の5人乗りだった記憶、15分くらいのフライトで滝の上空を飛行し写真のように滝全体を俯瞰できた、地上からはこの風景は望めない。
滝壺下流側の橋は鉄道併用橋のThe Victoria Falls Bridge、1905年9月12日開通。セシル・ローズの発案で計画された放物線を描いたアーチParabolic arch、全長198m、最長スパン156.5mの鋼構造で水面から128mの高さである。当時は南ローデシアと北ローデシアの国境、旅客と貨物が運行され、北ローデシアと南ローデシア、南アフリカ共和国、更にヨーロッパを結ぶ重要な運輸交通ルートだった。貨物では北ローデシア(ザンビア)で産出する銅インゴットを南へ、石炭を北へ輸送していた。
1964年、南ローデシアが独立宣言し、宗主国の英国と紛争状態になり内政が混乱、Rhodesian Bush Warがジンバブエとして独立する1980年直前まで続き、頻繁にこの橋が通行止めになった。北ローデシアは1964年、東京オリンピック開催中に独立しザンビアとなっていた。
1975年、ジンバブエ内戦の停戦交渉が南ローデシアのスミス政権と独立派勢力とこの橋の上で停車した列車の中で行われた、しかし、9時間半の交渉でもまとまらず、結果失敗となった。
1979年12月、ロンドンでランカスターハウス合意によりRhodesian Bush Warの終結とその後が合意され、実質的に南ローデシアの独立が承認、翌1980年、総選挙が実施され、ロバート・ムガベ率いるZimbabwe African National Union (ZANU)が勝利した。独立により、ビクトリアフォールズ橋は通常どおり通行できるようになった。我々が徒歩で渡ったのはそれから6-7年後だった。
遊覧飛行を運営していたUnited Air Charters, 現在、殆んど同名の会社United Air Charterがザンビア側でヘリコプターによる遊覧飛行を運行している、冷戦の終焉に伴う南部アフリカ情勢の変化、アパルトヘイト廃止でザンビアでも経済状況が改善されて遊覧飛行運営の妥当性が出てきたのだろう。
https://uaczam.com
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