Saturday 25 June 2022

ソ連邦時代のキエフー遠い記憶より

 1985年7月10日、早朝、モスクワから乗った夜行列車ドニエプル号は「ゴトン、ゴトン、ゴトン」とドニエプル川の鉄橋をゆっくりと渡り、その先のキエフ駅へ滑り込んで行った。外国人旅行者は、ソ連邦国内では自由な移動が制限されており、駅や空港に付いたらインツーリストオフィスへ行くことになっていた。そこには、予約した私の名前があり、予約したスケジュールに沿って交通機関やホテルが手配されていた。それはそれで素晴らしいと思ったが、予定を変更すとどうなるのか、試す勇気はなかった。

というのもキエフに来るまでに既に警察(ミリツィア)の世話になっていた。これはハバロフスク駅前で写真を撮っていてミリツィアにみつかり警察署へ連行され、危うくシベリア鉄道に乗り遅れ、ハバロフスクに置いてきぼりにされかけたところを間一髪で予定通りのロシア号に間に合ったのだ、正確には1時間程度もロシア号を待たせた、これは、添乗していたインツーリストのスタッフ(当時はウラジオストク極東大で日本語を学んでいた女学生、夏休みだったので国家に奉仕するアルバイトだった)がぎりぎりまで待たせてくれたからに他ならない。

 

列車がキエフ駅のホームに停車し、東独製の4人用のコンパートメントからバックパック用の荷物を担いで列車を降り、ゆっくりと周囲を眺めながら駅のインツーリスト事務所へ行った。あまり記憶に残っていないのはその風景に慣れてしまったのだろうか、インツーリストで少し待っていると、タクシー(ヴォルガ)が来たと英語で知らせてくれた。モスクワに着いたときは日本語を話すスタッフ(モスクワ大学の女子学生で東京に滞在経験があり、NHKのロシア語番組に出演していたと話してくれた。)がいたが、キエフでは英語だった。そして手配されたタクシーはソ連製のボルガ、白だった記憶だが、のタクシーでキエフの中心に位置するインツーリストホテル(だったと思う)へ向った。

 

どこをどうやってどの程度の時間をかけてホテルに辿り着いたのか覚えていないが、駅を出た時に振り返ったら駅舎全体が見えたのでシャッターを押した。窓からなのか、後ろの窓越しなのか、この角度だと後ろの窓越しかな。この写真も恐る恐るシャッターを押したことは間違いない、なのでシャッターを切ったのは1枚か2枚だけだった。

 

朝は曇っていたが、その後、晴れてきた。インツーリストホテルのツアーデスクで市内観光ツアーがあるのというので半日英語ガイドコース(確か6米国ドル)に乗った。キエフはマロニエの花が咲きほこり、緑の中に都市があった。途中、ソ連の構造主義的な巨大な彫刻が建っているドニエプル川を見下ろす丘があり、眼下にその日の朝、鉄道で渡ってきた鉄橋が見え、その先に白い巨大なアパート群が見えた。

キエフの記憶より。

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