Wednesday, 15 June 2022

目黒競馬場跡とトゥルヌソル像 (サラブレッド牡種馬)

目黒競馬場跡のことは何度か下記のとおりメモを残している。今回、その跡地に建つトゥルヌソル像について補足を。

区報でみかけた明治40年に開設された目黒競馬場、昭和7年に第一回日本ダービーが開催され、翌昭和8年の第2回日本ダービーの後に府中へ移転した。跡地は公的機関や民間会社の社宅、民家となっている。その後、その公的機関や社宅が売却され、共同住宅や戸建て住宅に様変わり。目黒競馬場があったという痕跡は、バス停と信号機に元競馬場、また、渋72系統バスが通る元競馬場通りという名称、そして当時のトラック沿いの桜が数本残っている。

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目黒区報2022年5月15日号16頁
 目黒通り元競馬場交差点脇に建つ目黒競馬場跡碑

元競馬場交差点、競馬場があった下目黒側に第一回日本ダービー優勝馬の種牡馬のトゥルヌソル(仏語でヒマワリ)像が目黒競馬場跡の碑の上に建っている。

トゥルヌソルはサラブレッド種、英国の競走馬として優良な血統を持つ馬で1927年に種牡馬として日本にやってきた。祖父バヤルドはイギリス三冠馬となったゲイクルセイダーとゲインズバラの父で、1915年、ゲインズバラはイギリスで三冠を達成し1925年から1927年まで英国の種牡馬ランキング4位になっている。

トゥルヌソルはこの時期に活躍した馬で、1926年にプリンセスオブウェールズステークス等に勝ち、1927年のアスコットゴールドカップ4着のあと脚部故障により引退したのを機に、宮内省により購入され、千葉県三里塚の下総御料牧場に繋養された。

これだけの血統を持つ馬を、この時代の日本に輸入し、日本産サラブレッドの礎とすることができたのは、当時の競馬や馬産のみならず、後世の日本の馬畜産業にとっても最大級の幸運であったと言われている。

 


wiki等を参考に編集

 

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