Sunday, 5 June 2022

ソ連邦抑留者死亡者埋葬地一覧とウクライナ東部

第2次大戦後のソ連邦による旧満州や樺太・千島列島などでの日本軍の戦争捕虜、通常は抑留者、シベリア抑留者という言葉が用いられている、が存在した。この抑留者を明確に認識したのは、1996年にウズベキスタンへ出張した時に訪れたタシケント抑留者日本人墓地からだ。同じ、調査団に満洲からの引き揚げ者がいて、その方が是非とも墓参したいと要請したからだ。

その後、ウズベキスタンにおける抑留者についてまとめ、wikiにも記載した。
1996年
2007・2009年


数日前の2022年5月31日、カザフスタンのスパスク(カラガンダ市近郊)にある日本人抑留者埋葬碑に駐カザフスタン山田大使が献花したと大使館のFBで見かけた。スパスクという地名は初耳だったが、カラガンダ郊外という説明で納得、ここには抑留者の収容所があったからだ。この日、大使はカザフスタンの「政治的抑圧・ホロドモール犠牲者追悼日」に際して現地で行われた追悼式典に出席した機会を捉えてだった。ここには日本人だけでなく27か国・民族の慰霊碑群が建立されているという。それはカラガンダが鉱物資源を多く産出し、特に鉄鋼業が盛んでその精錬に必要な燃料となる石炭をカラカンダ炭田から産出する。そのせいか、ソ連邦内からのロシア系、ドイツ系、ポーランド系、チェチェン系、朝鮮系など、カザフ人以外が多く住む地域となっている。

この機会に少し調べ直したら、厚生労働省のHPに収容所と埋葬地の情報がヒットした。

ソ連邦及びモンゴル抑留死亡者埋葬地別名簿索引

カザフ共和国(現在のカザフスタン)

さらに、この一覧を見渡したら、現在、戦闘が行われているウクライナ東部にも多くの抑留者が埋葬されていることを知った。抑留者自体はソ連邦の広範囲にわたり収容されていたことは知っていたが、ここであらためてウクライナ東部に集中していることを認識、炭田や鉄鋼業などの産業集積と関係あったのだろう。

これまで日本とは縁がないと思っていたが、老朽化した発電設備などの更新のために日本の製品が納入され、10年ほど前に調べた時にM商事が事務所を置いていたことは知っていたが、抑留者もこの地域で働いていたということを再認識した。

一覧の注に地名表記のことで下記のような説明があった、つまり、これらの地域、全部が東部なのでは、に日本人抑留者が送られ、多くの方々が死亡し埋葬されたということになる。当時のことゆえ、戦争が始まってウクライナの都市名はウクライナ語表記を使うようになったが、その当時はソ連邦なのでロシア語のままでよいと思うが。

注1 ハリコフ(ハルキウ)地方、ドネツク地方、ザポロジーエ(ザポリッジャ)地方、ルガンスク(ルハンスク)地方、ドニエプロペトロフスク(ドニプロペトロウスク)地方は現在のウクライナです。

現在のウクライナにおける日本人抑留者の収容所・埋葬地は以下の通り、11埋葬地、211名である。ドネツク地方が最も多く、次いでハリコフとザポロージェとなり、この3地方でほとんどの206名が埋葬されている。
ハリコフ(ハルキウ)地方、収容所・埋葬地2、54名
ドネツク地方、収容所・埋葬地1、106名
ザポロジーエ(ザポリッジャ)地方収容所・埋葬地5、46名
ルガンスク(ルハンスク)地方収容所・埋葬地1、3名



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