Friday, 28 October 2022

ハンガリー動乱1956

ハンガリー動乱、この言葉をふむふと噛み砕ける人は一定以上の年齢層であろう、そうは言いつつも私は当時は学齢前でずっと後になって知った次第、何か権力に贖い潰された衝撃的な出来事だったとは想像できる程度だが。

 
 今日はそのハンガリー動乱66周年にあたる。66年前の1956年10月23日-11月10日、ソ連の介入によって7月に選出されたハンガリー勤労者党書記ゲレーの退陣を求めて学生たちがブダペストをデモ行進し、それに労働者も加わり、夜になりデモ隊と秘密警察との間で衝突が始まった。この衝突が発端となり現在の権威と支配に反対する民衆による全国規模のデモ・蜂起が起こり、ハンガリー政府がソ連邦に鎮圧を要請、ソ連軍が侵攻し(国内にも駐留)、鎮圧によって市民約3000人が犠牲になり、20万人以上が難民として国外へ亡命したとされる事件である。
 
 要するにソ連が軍を派兵し鎮圧したのですが、背景的にはパワーバランスが変化すると政治が変動するといこと。1953年にスターリンが亡くなり、共産圏で非スターリン化が起こり、ソ連邦の内外政策、政治体制、国際共産主義運動方針の転換や軌道修正の動きが多方面に見られた。そして最高指導者となったフルフチョフがスターリン批判演説を行い、雪解けムードが醸成され、ハンガリーでも改革派が台頭し、言論の自由や労働環境の改善を要求した。
 
 ハンガリーは第二次世界大戦では枢軸国側に立っていたが赤軍に敗北し、ソ連の支配下に置かれた。戦後、1947年にハンガリー共産党が政権を握りソ連ブロックに組み込まれ、経済的にはドイツに依存していたため戦後、疲弊していた。更にパリ条約による戦争賠償の義務を負い、GDPの焼く20%に達し、財政的に苦境に陥っていた背景も影響している。
 またこの年、オーストラリアのメルボルンでオリンピックが開催(11/22-12/8)、大会終了後にハンガリー選手45人が西側へ亡命した。その他、国際情勢が大きく変動しスエズ動乱、台湾参加への中国の抗議など多くのボイコットがあった。
(wikiなどを参考に)

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