明治政府以後は旭日章の意匠に取り入れられたり、皇室を表す紋章である「十六八重菊」に準じるものとして、ビザやパスポートなどの書類や硬貨(明治政府以後の金貨や、現在の500円硬貨)の装飾に使われた。
大日本帝国憲法下の日本政府は皇室の菊紋章を多用したが、日本国憲法下の内閣をはじめとする行政各機関は桐花紋を用いている。菊紋と共に賞杯や、内閣総理大臣官邸の備品、総理の演台に取付けられるプレート(内閣総理大臣章)にもあしらわれている。
この「五七桐」、皇室から下賜された変遷は以下の通り、信長から秀吉へ、そして山内一豊を経て明治政府へとなっている。
皇室 → 足利氏 → 足利義昭 → 織田信長 → 豊臣秀吉 → 山内一豊 → 山内氏 → 山内豊範 → 板垣退助
五七桐は「政権担当者の紋章」という認識が定着したが、家康はこれを断ったが大御所になってから用いるようになった。豊臣政権や徳川幕府では、小判などの貨幣に刻印され全国に流通したことにより、政府を表す紋章としての地位を確立した。
1872年には、明治政府が大礼服を定め、勅任官は、その上着に「五七桐」を用い
ることとされた。
筑波大学の校章の意匠に取り入れられている五三の桐は筑波大学の前身である東
京高等師範学校が、明治天皇より校章として下賜されたものが起源である。
日本政府の紋「五七の桐」を知っていますか
https://toyokeizai.net/articles/-/99304
五七の桐
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