リヒャルト・ゾルゲはソ連邦のスパイで1944年11月7日(ロシア10月革命の日)、国防保安法、治安維持法違反で起訴され死刑判決を受け巣鴨拘置所で処刑された。雑司ヶ谷霊園の共同墓地に埋葬されたが内縁の妻石井花子が見つけ出し、自らの資金で1950年に多摩霊園に墓地を建てた。
ゾルゲはドイツ国籍、1933年、上海での活動の後に日本へ、ジャーナリストの旅券、後にドイツ大使館の信頼を得てナチス党員となり大使館付きとなり対ソ政策、日独関係、対中政策の調査を独ソ開戦の諜報活動を日本の共産主義支持者と連携して行ない、日本がソ連と開戦する兆候なしという情報を提供、
ゾルゲは日本の関心は南方にありと見ていた、そしてドイツの対ソ開戦は1941年6月と伝えていた。他のスパイの情報や英国の通報も独ソ開戦を補強していたがスターリンはこれらを無視。背景は諜報機関の情報自体への不信、英国による独ソ離間策疑念、独露混血であるゾルゲに対する二重スパイ疑惑がある。
ゾルゲは日本は南進が主眼であるとする尾崎秀実の分析を採用、1941年7月にモスクワへ打電、この情報をもとにソ連邦赤軍はシベリアの部隊の一部を対独開戦に向けて欧州側へ移動させた。ドイツが1941年6月22日に対ソ開戦、10月のモスクワ戦でドイツ軍を押し戻すことに成功、本国が諜報活動へ謝意打電
1964年11月5日、諜報任務に従事したゾルゲに「ソ連邦英雄」の称号が贈られた。ゾルゲの生まれたバクーにゾルゲの銅像建立など顕彰が進展。以降、ゾルゲは「ソ連と日独の戦争を防ぐために尽くした英雄」として尊敬され、ソ連邦の駐日大使が赴任した際にはゾルゲの墓に参るのが慣行となった。
ゾルゲを題材にした映画が制作されている。『スパイ・ゾルゲ 真珠湾前夜』 は1961年6月21日公開の日仏合作映画。フランス語の題名は「Quiêtes-vous、Monsieur Sorge?」、なぜ日仏と、原案が岸惠子だからか。2003年にも制作されている、タイトルは同じでより長時間の映画が。
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