ライブエイドに先立つ1984年、エチオピアで起こった飢餓を受け、イギリスとアイルランドのロック・ポップス界のアーティストが集まってチャリティー・プロジェクトであるバンド・エイド (Band Aid)が 結成され、発起人のボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロにより書かれた「Do They Know It's Christmas?」を1984年12月3日にリリースし大きな成功を収めた。
これに触発された形でアメリカではハリー・ベラフォンテが同様のプロジェクトを提唱する。まずライオネル・リッチー、そこからマイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、クインシー・ジョーンズら数々の大物アーティストが呼びかけに応じ、最終的に参加アーティストは45人に達した。
マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが共同で曲を書き、クインシー・ジョーンズがプロデューサーし、1985年1月28日にレコーディングが開始された。プロジェクトは「United Support of Artists」のイニシャルとアメリカ合衆国の略称との二重の意味で「USAフォー・アフリカ(USA for Africa, United Support of Artists for Africa)」と名付けられ、3月8日、「ウィー・アー・ザ・ワールド」をリリースした。
そして、ライヴエイド(LIVE AID)はバンド・エイドを提唱したブームタウン・ラッツのリーダー、ボブ・ゲルドフが中心となって「1億人の飢餓を救う」というスローガンの下、「アフリカ難民救済」を目的として、1985年7月13日開催され。その呼びかけに賛同した多くのミュージシャンが国とジャンルを越えて参加した。
ライブエイドは英国ロンドン郊外ウェンブリー・スタジアムとアメリカ、フィラデルフィアのJFKスタジアムで開催され、開催総時間は計12時間にびぶ計84か国に衛星同時生中継された。
当日、来賓としてチャールズ皇太子とダイアナ妃が招かれた。映画ボヘミアンラプソディの冒頭の映像に映し出されているようにこのライヴエイドの発起人であるボブ・ゲルドフも、この2人と一緒に入場している。人権問題に大変な関心を寄せていたダイアナ妃の意向でこの2人の出席が実現した。
クイーンは6曲メドレー構成とし「ボヘミアン・ラプソディ」(短縮版)、「RADIO GA GA」、「ハマー・トゥ・フォール」、「愛という名の欲望」、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」(短縮版)、「伝説のチャンピオン」を披露した。そのライヴ・パフォーマンスは他を圧倒しボブ・ゲルドフも彼らを絶賛した。この出演が新たなクイーンへの大きな転機となった。
そしてこのステージの模様はクイーンとフレディ・マーキュリーを題材として2018年に公開された伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』にて細部に至るまで忠実に再現されている。
日本ではフジテレビとニッポン放送が放映権を取得しTHE 地球CONCERT LIVE AIDという番組で放映した。新宿アルタ特設会場でライヴエイドの特別番組を放送した。また、環八沿いの用賀デニーズの駐車場に移動式の巨大スクリーンを設置しライヴエイドを生中継した。
日本のアーティストもメイン会場以外から出演、以下の4組のライヴ映像が全世界に中継された。
オフコース「ENDLESS NIGHTS」
矢沢永吉「苦い雨」「TAKE IT TIME」
LOUDNESS「Gotta Fight」「CRAZY NIGHT」
佐野元春「SHAME -君を汚したのは誰」
その他、以下のアーティストが参加した。日本の番組に出演したという意味なのだろうか。
チェッカーズ「ギザギザハートの子守唄」
チャゲ&飛鳥「棘」
杏里「16BEAT」
さだまさし「まほろば」
南こうせつ「風をくらって」
安全地帯「悲しみにさよなら」
イルカ「もう海には帰れない」
谷村新司(元「アリス」)「12番街のキャロル」
長渕剛「勇次」
HOUND DOG「BAD BOY BLUES」
ラッツ&スター「WHAT'S GOING ON」
THE SQUARE「OMENS OF LOVE」
杉山清貴&オメガトライブ「ふたりの夏物語」
白井貴子&Crazy Boys「FOOLISH WAR」
柳ジョージとハーレム少年聖歌隊「Having A Party」
上田正樹「東京エキスプレス」
中原めいこ「ロ・ロ・ロ・ロシアンルーレット」
DANGER(忌野清志郎・どくとる梅津バンド)「はたらく人々」
(主にwikiより)