4世紀にフルメンティ(フルメンティウス)が、現在のエチオピア北部のアクスム王国で布教したのがエチオピアにおけるキリスト教の始まりとされ、アクスム王国は333年頃にキリスト教を公認した。エチオピアでは、イシス信仰、ユダヤ教経典『タルムード』編纂以前のユダヤ教、それにキリスト教が合わさり、特有のキリスト教が根付いた。
430年にコプト正教会の統制下に入り、451年のカルケドンの公会議(第四全地公会議)でコプト正教会は異端とされ、キリスト教の主流から分裂しエチオピア正教会も独自の路線を歩んできた。
キリスト教以前から存在していたユダヤ教の影響もあり豚肉をタブーとしているのはそのひとつである。旧約聖書のレビ記には禁止食物が列挙されており、蹄が割れていても反芻しない動物(たとえば豚)や、ひれや鱗のない水中生物(エビ、カニなど)がそれに含まれる。
1959年にコプト正教会から分離し、独立教会となった。また、エチオピア帝国時代は国教とされていた。1993年のエリトリア独立後、一部がエリトリア正教会として分離した。
各教会には、「タッボット」と呼ばれる、契約(モーゼの十戒)の箱のレプリカとされる、聖遺物があり教会内で最も神聖な物とされる。
特徴的な習慣として聖堂内で靴を脱ぎ裸足になる。エチオピアでは一般の家屋に入る際に靴を脱ぐ習慣は無く、聖堂で靴を脱ぐことは家屋に入る際の延長線上にある習慣ではない。これは旧約聖書の出エジプト記(3章5節)において、その立っている場所が聖なる場所であるので履物を脱ぐようにモーセが神から命じられた場面に由来する習慣であり、神への畏怖を表しているとされる。
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