ソ連邦時代、ウズベキスタンSSRの首都タシュケントのレーニン広場とレーニン像(1936年建立)、現在の独立広場。1865年にロシア帝国がタシュケントを占領しこの地にトルキスタン総督府が置かれるとその総督府と隣接して大聖堂が建設され、その前の広場は大聖堂広場と呼ばれるようになった。
ロシア革命後にウズベク・ソビエト社会主義共和国が成立すると、これらの建物は破壊され、以降、この広場は「赤の広場」と呼ばれるようになった。そして1936年にレーニン像が赤の広場に建てられた。
1952-54年の広場改修に合わせて新たに大理石のレーニン像が建てられ、レーニン広場という名称に変更された。旧レーニン像はウルゲンチへ移設された。
1966年4月26日のタシュケント地震(震源がタシュケントで浅いM5)により広場も大きな被害を受け、再び改修工事が行われた。
1970年、ウズベク・ソビエト社会主義共和国建国50周年の年に広場改修が完了、広場は以前の3.5倍の広さに拡張された。レーニン像も広場の改修に伴い一新され、以前のレーニン像はサマルカンドへ移設された。
写真は拡張後のレーニン広場とこの時に新たに設置されたレーニン像と思われる。
この改修を機にそれ以降毎年5月1日には軍事パレードが開催されるようになった。
1996年1月の初タシケントの時はレーニン像はなかった、ウズベキスタン共和国として独立した翌年の1992年にレーニン像は撤去され、現在の地球儀を模したモニュメントとその下に母子の像が設置された。
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