目黒にはかつて大仏があった、明治4年、1871年までは。。
下目黒三丁目の蟠龍寺の「目黒大仏」と呼ばれた阿弥陀如来像である。明治新政府の神仏分離政策の中、廃仏毀釈により1871年(明治4年)に来日したフランス人エンリコ・チェルヌスキーの手へ渡り、フランスへ。現在はパリのチェルヌスキー美術館(Musee Cernuschi)の大ホールに鎮座している。輸送の際、大仏を3分割切断して輸送、後に接合された。
増上寺の学問所として建てられた蟠龍寺だが、当時、徳川家の没落とともに寺も衰退、住職はおらずチェルヌスキーは土地の名主に購入資金を支払ったとこと。チェルヌスキーとともに来日した美術評論家テオドール・デュレは帰国後「東洋への旅」を著し大仏は目黒で買ったと記している。写真はチェルヌスキー美術館の大ホールのかつての「目黒大仏」(WEBページ)。
NHK「海を渡った600体の神仏」(2003年)の再放送で知った。仏像の流出の背景には明治新政府による神仏分離、廃仏毀釈が大きく影響している。
そして、チェルヌスキー来日の数年後の明治9年に同じくフランス人でリヨンの実業家、エミール・ギメが来日し多くの仏像等を蒐集し、フランスへ送りリヨンに宗教博物館を設立して展示する。その後、パリに移設、現在の国立ギメ東洋美術館Musée Guimetとなっている。
セルヌスキー美術館の大ホールのかつての「目黒大仏」
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