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Monday, 21 June 2021

英文学者野口米次郎と津島と天王川公園

天王川公園の中之島は子供の頃よく遊びに行った。当時、野口米次郎の銅像があったのか、記憶していない。片岡春吉の銅像は堤を背にして大きかったのでその存在は覚えているがそれが片岡春吉だと認識したのは後のことである。後に著名な英文学者である野口米次郎が津島出身であり、イサム・ノグチの父であることを知った。銘板には津島が生んだ国際的詩人と刻まれている。 
 
野口米次郎(ヨネ・ノグチ)は、愛知県津島市(海東郡津島町中島)出身の詩人・英米文学者であり、慶應義塾大学英文学教授として明治38年より昭和17年まで教鞭をとった。津島市天王川公園の中之島に「ヨネ・ノグチ像」があり台座に英詩「Lines(天地創造)」が刻まれ書籍を携えて椅子に腰かけたヨネ像がある。三田評論に野口米次郎の生家のことが掲載されていたことが目に止まり、あらためて実家へ帰ったときに出かけてみた。

Twitter wikivictorianより
 

野口米次郎は愛知尋常中学校へ進学し、明治23年、15歳の時に家出をし、明治24年に慶應義塾大学へ入学、英米文学夢中になり渡米を志す。明治26年に退学の挨拶を福澤先生に伝えに行くと「結局人生は一六勝負だ(一六はサイコロの目)」と激励された。

明治26年、17歳で渡米、詩人ウォーキン・ミラーと出会い明治29年に詩集を発表、その際、不十分な英語力を補い添削、編集を行っていたレオニー・ギルモアと恋愛関係になり、その息子がイサム・野口である。

野口米次郎の生家が津島市本町4-22に残っている、子孫が所有しているが既に二十年来無住でかなり傷みが激しい。この先、どうなるか不安である、と三田評論が指摘している。グーグルマップで確認したところ、野口米次郎と略歴が書かれた銘板が門横の板塀に掲げられてる。

 



 
 天王川公園の中之島に建つ銅像(2021年7月、筆者)

津島市は江戸時代には七里の渡し(熱田(宮)‐桑名)の代替ルートであった三里の渡し-佐屋の渡し(佐屋湊-桑名)の一里ほど上流にあった津島湊であり、野口米次郎の銅像が建つ天王川公園が津島湊であった。津島湊か天王川を下り、佐屋湊から佐屋川を下り木曽川から鰻江川を通って桑名宿までの河川水運であった。
グーグルマップで生家の住所を検索すると現存する住宅が写真とともに表示される。門左の板塀に野口米次郎の名前と略歴が示された銘板が貼られている。野口家なのか津島市なのか定かではない。津島市はこういう歴史的な遺産をもっと大切にすべきであるが、天王通りの惨状からは行政のマネージメントが問われても致し方ない。近隣の稲沢市では同市井堀出身の荻須高徳画伯を記念した美術館を建設し功績を讃えていこととは対照的である。
野口米次郎、詩人・英米文学者の生家
〒496-0805 愛知県津島市本町4丁目22
第78回 三田評論 2013年4月号 ヨネとイサム・ノグチ 二重国籍者の親子
https://www.keio-up.co.jp/mita/r-shiseki/s1304_1.html

Tuesday, 17 November 2020

尾張地方のはたや(機織屋)と片岡毛織

尾張地方の津島、一宮、稲沢の名古屋都市圏には、朝鮮戦争特需に起因し大規模な紡績産業が1950年頃から集積、ガチャ万景気と言われた紡績業の景気拡大現象が発生する。

元々、毛織物業の産地であったことにもよるのだろう、津島市には片岡春吉により片岡毛織という染織、毛織物、糸染の紡績会社が明治31年(1989年)に設立している。

片岡春吉は、尾州毛織物の始祖とされる片岡毛織は、宝塚音楽歌劇学校の袴地や警察予備隊の制服地を製織し、日紡貝塚女子バレーボールチームのユニフォーム生地の製作するなど名門企業であった。

http://www.1898.jp/rekishi.html

1898年(明治31年) - 創業者片岡春吉により片岡毛織工場が設立され、操業を開始
1919年(大正8年) - 片岡毛織株式会社が設立
1924年(大正13年) - 創業者片岡春吉が52歳で没す

この間、飛躍しているのでこちらを。
2006年(平成18年) - 3月末をもって自主廃業

実家のある尾張地方は先の通り紡績業が盛んであり大企業(ニッケ、御幸、東レなど)を含めて多くの紡績業が視野に入ってきた。中小は機織(はたおり)と呼ばれた。小学生の頃には既に産業自体の存続が厳しい状況であり70年代までは固定為替制から存続していたが、その後、変動相場制移行と輸入繊維品に押されていく。
 
農村地帯には小規模機織り屋が立地した。小学生の頃は、農村では巨大な音を出す「はたや(機織り屋)」の自動織機とは何なのか興味津々でった。「ガチャ万」という言葉を聞いたのはその頃だ。 

父は若いころ、この片岡毛織に勤めていたし、母も結婚前までは毛織物業に従事していた。父は、招集により片岡毛織を退職、子供の頃に退職せずともよかったのでは、とその当時の苦労を思いながら母からよく聞かされた。 

実家の地区は基本的に農村なので農家であるが、純粋な米作りだけでは成り立たないこともあり、花卉園芸や生姜生産などにシフトしていき、ある家はそういう「ガチャ万」に惹かれたのか、小規模なはたや(機織屋)が存在した。それがたまたま、実家の前の家で、子供の頃は騒々しい、という印象しかなかった。三重県と宮崎県から女工さんが働いていた。

毛織物業は、俯瞰するとしっかりと、父とその姉家族にどっぷりと繊維産業に浸かっていた。その伯母の子供たち、私と一世代以上差があるが、皆さん、毛織物業界で働いていたし、伯母の旦那、義理の伯父は愛知県庁の繊維関係の組織で働いていた、子供の頃なので理解していなかったが。

つづく

Thursday, 20 August 2020

津島市及び海部郡の市町村合併経緯

13市町村で研究会「海部郡町村合併研究会」設置と協議経過

この経緯からすると
4町村()対象の住民意識調査の結果は、「津島市を含む5市町村(37.9%)」、「4町村(26.4%)」、「津島市,海部郡13市町村(25.9%)」

津島市民対象の住民意識調査結果では、「積極的に合併(37.2%)」「どちらかというと合併する(39.5%)」=

年月日 協議状況・経過等
1999年11月15日津島市,海部郡七宝町,美和町,甚目寺町,大治町,蟹江町,十四山村,飛島村,弥富町と13市町村で研究会「海部郡町村合併研究会」設置
2001年11月22日4町村で研究会「海部西部ブロック市町村合併広域研究会」設置
2002年7月25日津島市,海部郡の13市町村で研究会「海部津島市町村合併事務連絡会議」設置
2002年10月4町村の合併に関する住民アンケート(4町村住民約5500人対象)の結果
合併の是非:「積極的に合併(19.6%)」「どちらかというと合併(39.3%)」「どちらかというと必要ない(18.6%)」「必要ない(9.1%)」「わからない(13.4%)」
枠組み:「津島市を含む5市町村(37.9%)」「4町村(26.4%)」「津島市,海部郡13市町村(25.9%)」「その他(9.8%)」
2003年3月26日合併重点支援地域に指定
2003年4月1日4町村で任意協議会「海部西部4町村任意合併協議会」設置
2003年5月30日津島市が参加を申入れ
2003年7月25日津島市の申入れを拒否
2003年7月津島市の合併に関する住民アンケート(住民約5200人対象)の結果
合併の是非:「積極的に合併(37.2%)」「どちらかというと合併する(39.5%)」「どちらかというと合併しない(8.7%)」「合併しない(3.9%)」「わからない(10.7%)」
枠組み:「津島市,海部郡13市町村(45.4%)」「佐屋町,立田村,八開村,佐織町(33.3%)」「七宝町,美和町,甚目寺町,大治町(13.4%)」「蟹江町,十四山村,飛島村,弥富町(5%)」「その他(2.9%)」
2003年8月8〜18日津島市,海部郡の12市町村(飛島村を除く)で法定協議会設置を求める住民発議(同一請求),津島市が可決,11町村が否決
2003年9月18〜24日4町村が9月議会で法定協議会設置議案を議決
2003年10月1日「海部西部4町村合併協議会」設置
2003年11月28日第4回合併協議会において、合併方式を「新設合併」とすること、新市の名称は公募方式によりきめることを決定
2003年12月26日第5回合併協議会において、合併期日を2005年(平成17年)3月22日とすることを決定
2004年2月13日第7回合併協議会において、新市の事務所の位置を現佐屋町役場とすることを決定(他の3町村の役場は総合支所機能を有する分庁舎)
新市名公募上位10点:海西(かいせい),海部(あま),海西(かいさい),西尾張,西海部,あま,愛西(あいさい),海部西,海部西部,濃尾(のうび)
新市名候補10点:海西(かいせい,かいさい),愛西(あいせい,あいさい),海部西,西海部,海部,あま,西尾張,尾張
2004年4月21日第11回合併協議会において、新市の名称を「愛西市」とすることを決定
2004年6月25日第14回合併協議会において、合併期日を2005年(平成17年)3月22日から同年4月1日に変更することを決定
2004年8月27日第18回合併協議会において、新市建設計画を決定
2004年9月1日合併協定調印式
2004年9月21日合併関連議案を4町村が可決
2004年11月5日県知事に合併申請書を提出
2004年12月20日合併関連議案を愛知県議会が可決
2004年12月24日県知事が総務大臣に届出
2005年1月20日官報告示
新市名最終候補2点:海西(かいせい),愛西(あいさい)
新市名:愛西市(あいさいし)
市役所:佐屋町役場
出典:https://uub.jp/upd/u/u358.html

Sunday, 2 August 2020

平成の市町村合併と愛知県津島市と海部郡の現在

日本全国的に平成の市町村合併が平成11(1999)年から平成22年(2010)にかけて政府主導で行われた。
これは、市町村合併特例新法に基づいて自治体を広域化することによって行財政基盤を強化し、地方分権の推進に対応することなどを目的とし、 平成17年(2005)前後に最も多く合併が行われ、市町村合併特例新法が期限切れとなる平成22年(2010)3月末に終了した。
https://www.soumu.go.jp/gapei/gapei.html
さて、所縁のある愛知県津島市と海部郡はどうなったのか?現在は以下のようによくわからない合併結果となっている。
津島市 そのまま
愛西市 津島と協議決裂、佐屋町、佐織町、八開村、立田村で合併
あま市 甚目寺町、七宝町、美和町が合併
弥富市 弥富町、蟹江町、飛島村、十四山村で協議、市名で蟹江が脱退。飛島は不必要。弥富と十四山が合併
海部郡 大治町、蟹江町、飛島村
よくわからいと表現したのは、近隣の一宮市や稲沢市が従前の種々の行政範囲を統合しているのに対して、津島市と海部郡、海部津島と呼ばれていた、は分裂したかの如くの合併の結果となっているからだ。素直に津島市に海部郡が統合されれば、こうはならなかったことになるが、政府主導とは言いつつも合併の主旨である「自治体を広域化することによって行財政基盤を強化し、地方分権の推進に対応することなどを目的」の視点からすると、はて?と疑問を呈したくなる
津島市と周辺市町村との合併協議の経緯は以下のサイトにあるが、限定的。
https://uub.jp/upd/u/u358.html
津島市周辺の町村を津島市と統合する案は当初からあったようですが、これは歴史的文化的経済的にも素直な方向でした。津島市、佐屋町、佐織町、八開村、立田村の1市2町2村での合併で始まったものの、津島市が外れ、外されたのか?、2町2村での合併に進んだ。津島市資産の問題なのか津島市を外す理由が不明確、3点下記のサイトに挙げられているが。結果として津島市と人口規模で同レベルの新たな市が誕生した。
http://www1.clovernet.ne.jp/kondou_1/watasinoomoi.htm



年月日 協議状況・経過等
1999年11月15日津島市,海部郡七宝町,美和町,甚目寺町,大治町,蟹江町,十四山村,飛島村,弥富町と13市町村で研究会「海部郡町村合併研究会」設置
2001年11月22日4町村で研究会「海部西部ブロック市町村合併広域研究会」設置
2002年7月25日津島市,海部郡の13市町村で研究会「海部津島市町村合併事務連絡会議」設置
2002年10月4町村の合併に関する住民アンケート(4町村住民約5500人対象)の結果
合併の是非:「積極的に合併(19.6%)」「どちらかというと合併(39.3%)」「どちらかというと必要ない(18.6%)」「必要ない(9.1%)」「わからない(13.4%)」
枠組み:「津島市を含む5市町村(37.9%)」「4町村(26.4%)」「津島市,海部郡13市町村(25.9%)」「その他(9.8%)」
2003年3月26日合併重点支援地域に指定
2003年4月1日4町村で任意協議会「海部西部4町村任意合併協議会」設置
2003年5月30日津島市が参加を申入れ
2003年7月25日津島市の申入れを拒否
2003年7月津島市の合併に関する住民アンケート(住民約5200人対象)の結果
合併の是非:「積極的に合併(37.2%)」「どちらかというと合併する(39.5%)」「どちらかというと合併しない(8.7%)」「合併しない(3.9%)」「わからない(10.7%)」
枠組み:「津島市,海部郡13市町村(45.4%)」「佐屋町,立田村,八開村,佐織町(33.3%)」「七宝町,美和町,甚目寺町,大治町(13.4%)」「蟹江町,十四山村,飛島村,弥富町(5%)」「その他(2.9%)」
2003年8月8〜18日津島市,海部郡の12市町村(飛島村を除く)で法定協議会設置を求める住民発議(同一請求),津島市が可決,11町村が否決
2003年9月18〜24日4町村が9月議会で法定協議会設置議案を議決
2003年10月1日「海部西部4町村合併協議会」設置
2003年11月28日第4回合併協議会において、合併方式を「新設合併」とすること、新市の名称は公募方式によりきめることを決定
2003年12月26日第5回合併協議会において、合併期日を2005年(平成17年)3月22日とすることを決定
2004年2月13日第7回合併協議会において、新市の事務所の位置を現佐屋町役場とすることを決定(他の3町村の役場は総合支所機能を有する分庁舎)
新市名公募上位10点:海西(かいせい),海部(あま),海西(かいさい),西尾張,西海部,あま,愛西(あいさい),海部西,海部西部,濃尾(のうび)
新市名候補10点:海西(かいせい,かいさい),愛西(あいせい,あいさい),海部西,西海部,海部,あま,西尾張,尾張
2004年4月21日第11回合併協議会において、新市の名称を「愛西市」とすることを決定
2004年6月25日第14回合併協議会において、合併期日を2005年(平成17年)3月22日から同年4月1日に変更することを決定
2004年8月27日第18回合併協議会において、新市建設計画を決定
2004年9月1日合併協定調印式
2004年9月21日合併関連議案を4町村が可決
2004年11月5日県知事に合併申請書を提出
2004年12月20日合併関連議案を愛知県議会が可決
2004年12月24日県知事が総務大臣に届出
2005年1月20日官報告示
新市名最終候補2点:海西(かいせい),愛西(あいさい)
新市名:愛西市(あいさいし)
市役所:佐屋町役場

Wednesday, 27 February 2019

元津島天王通りの仕出し料理「常盤苑」

覚書を書いておかなければならない状況であった。
かつては津島神社御用達だったかもしれない仕出し料理屋の常盤苑、今は、少し北の愛西市町方の道路沿いに宴会場を営業している。一般の客は取っていない。

なぜこの料理屋と関係を持つことになったかと言えば、法事の食事場所を探していて適当な場所がなく実家に近い場所で送迎付きだということ、また、津島神社近くに店があった老舗のカテゴリーでここになった。一般の客を取っていないことから情報が限定的であり、気にはなったが。

先ずはお値段。
食事代5000円、サービス料10%、消費税8%

何が不満足だったかと言えば以下の点に集約される。
1)お値段に対する料理及びサービスの内容が低すぎ、焼き物は黒焦げ、食材及び料理の質低い等
2)サービス料を請求するも仲居レベルではない、説明なし、飲み物注文を取らない(酒を注文しなかった際に小言を言った)、料理を投げるように出した、等。
3)料理はお品書き無し、説明なし、焼き物は黒焦げを出した、等

どうやら宴会専用、酒を飲ませて利ザヤを稼ぐ方針なのだろう、生憎、こちらは車だし飲む人はいなかった。

料理:
先 付  茶わん蒸し、xx、xx 
焼 物  ホタテ、タラ(焦げていた)
造 り  マグロ赤身(スーパーレベル)、鯛、甘えび
強 肴  天ぷら(揚げ方が下手)、車エビ、カニ
食 事   白飯 赤出汁 香物
甘 味   イチゴとメロン(切れていない)


数は多いが質は低かった。特に造りのマグロ赤身、スーパーで買ったほうが質が高いような赤身だった。
それから 仲居は私服と思われた。

という状況でした。
料理人も1-2人であろう、黒焦げになるようなので。

今回の店は家族に任せたのであるが、話の内容から情報収集が甘かったのでは心配はしていた、田舎ゆえなので致し方ないのだろうか。

名古屋駅まで出られれば選択肢は多いのであるが、かつての津島は何処へ、といった印象となった。

ちなみに同じお値段(4800円++)で、名古屋駅にある京都つる屋のランチ
先 付    チーズ和え 白身魚真砂和え
           菊菜椎茸浸し 野菜カステラ
     豚昆布巻き 丸十蜜煮 一寸豆
焼 物    海老芋田楽 きゃらぶき
           オレンジカリフラワー
造 り     鯛 サゴシ スマトロ
     烏賊 甘海老 あしらい一式
強 肴    鰤とキングサーモンの雪見鍋
           豆腐 舞茸 水菜 人参
食 事    蟹と帆立釜飯 赤出汁 香物
甘 味    和スイーツ五種盛り
           わらびもち 白玉善哉 苺最中
           パウンドケーキ ほうじ茶アイス
https://www.associa.com/nma/restaurant/tsuruya/lunch/8297621455bc2da3af22f6/

Saturday, 4 April 2015

津島市本町の旧津島信用金庫本店(旧東海銀行津島支店)

津島市本町、天王通り本町交差点から見える、に旧名古屋銀行津島支店、東海銀行津島支店、旧津島信用金庫本店として使われた1929年築のRC2階建ての建物が現存する。この辺が津島の
現在は、津島市観光交流センター、観光案内所のようなものだろうか、として使われている。 津島には町屋は多く見かけるが、近代的なRC造はあまり記憶にない。

地方都市に建てられた典型的な銀行建築、ルネサンス様式を簡略化した「復興式」と呼ばれる建築様式である。

旧津島信用金庫本店(旧名古屋銀行津島支店)
津島市観光交流センター(まつりの館 津島屋)
所在地:津島市本町1丁目52-1
竣工:昭和4年(1929)
設計:坂野悦男
構造:RC造2階
国登録有形文化財

旧津島信用金庫本店
http://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kenzoubutu/kunitouroku/1232.html

Friday, 3 April 2015

津島の「たこ秀」

津島神社南門の近く、旧市立図書館の前にたこ焼き屋「たこ秀」がある。

数年ぶりに立ち寄った、

いつごろかは定かではないが、 なかなか焼き立てのたこ焼きには巡り会えていない、今日もそうだった。というのは、焼いてから保温してあるからだ。注文があるとソースと塗り、青のりをかける。8個入り300円。

これもいつごろかは定かではないが、タコの大きさが非常に小さくなってしまっていた。いわゆる記憶になる「たこ秀のたこ焼き」ではなくなっていた。それは、何十年もほとんど価格を変えていないそのしわ寄せだろう。最初の頃は10個入りだった記憶だ。

この店は筆者が中学生の頃からある、夏休みに市立図書館へ行ったときに立ち寄ったのが最初だろうと思う。大きなタコの切り身が入った焼きたてのたこ焼き、それまでのたこ焼きよりかなり美味しかった、これが「たこ秀」のたこ焼きだった。

物価や人件費上昇の折、価格をあまり変えずに続けている努力は評価するが、もう少し支払っても 「たこ秀のたこ焼き」を食べてみたいと思う。



Saturday, 7 March 2015

エルメネジルド・ゼニアと毛織物業と津島

エルメネジルド・ゼニア(Ermenegildo Zegna)の生地を探していたら下記オンラインショップがヒットした。どんな会社かと会社概要を確認したら、実家の目と鼻の先、姪たちが通った小学校の近くだった。

背広屋 石K(石敬毛織)
http://store.ponparemall.com/ishi-k/

この店で扱っているスーツは、エルメネジルド・ゼニア等の生地を使って仕立て業者に依頼してスーツを仕立てている製品を販売している、スーツをオンラインで買おうとは思わないので実家に戻った時にでも試着が可能かどうかを問い合わせた。見本は店に置いてあるようだったが、当然ながらエルメネジルド・ゼニアの生地は呼び水、在庫は殆どないし、季節の終わりでは為す術がないが情報だけ確認した。

この地域、かつては、毛織物業が栄えた地域、その理由は毛織物業の父と言われた片岡春吉の業績による。

抜粋:
モスリンよりも丈夫で使い道が広いセル織物を織りだすため、幾多の困難に遭遇しながらも織物部品を工夫発明し、セル地で布の強さも染めた色も、外国製に劣らない優秀な品の生産に成功しました。
http://www.1898.jp/hk.html

石敬毛織、毛織と名が付いているものの現在は毛織物業ではなく、スーツなどを取り扱っている小売業をしている。時代の趨勢から多くの毛織物工場が潰れ、その昔、跡地が更地になっているのをよく見かけた。 毛織物業の知識を活かして転業できれば幸いだが。

石敬毛織の所在地は、津島市に隣接する佐織町、現在は平成の市町村統合で愛西市と名を変えている。佐織町と言えば織田信長の父の居城が勝幡にあり、信長はここで生まれたとの説がある。真偽はともかく、津島神社のある津島市は歴史的には織田信長、豊臣秀吉に所縁が深い。

津島から桑名へは、江戸時代、東海道の七里の渡しの代替航路であった。現在の天王川公園が湊だったようだ、そこから佐屋川を経由して木曽川、長良川、揖斐川を経て桑名への河川航路があった。 その津島の川祭りである天王川祭りを含めた愛知県の祭りが、今年、世界無形遺産としての登録申請される予定だ。

話がそれたが、多くの毛織物業者が転業を余儀なくされたが、今でも幾つかの毛織物業者はエルメネジルド・ゼニアと競合する?ほどの高い評価を得ている生地を織っている。

御幸毛織、 葛利毛織、山長毛織、片岡毛織、兒玉毛織等だ。

片岡毛織(三越伊勢丹のスーツ)
http://www.1898.jp/index.html

御幸毛織
http://www.miyukikeori.co.jp/

山長毛織
http://www.yamacho.co.jp/

兒玉毛織(礼服用生地)
http://www.c-com.gr.jp/kodama/

三星毛糸
http://mitsu-boshi.jp/

ダイドー毛織(工場が愛知県にあった)
http://www.daidoh-limited.com/index.html

これらの生地で背広を仕立てる店、一例であるが。

グローバルスタイル
http://www.global-style.jp/
http://www.global-style.jp/archives/shopmap/ginzahonten

ヨシムラ(葛利毛織)
http://www.vightex.com/index.html

銀座山形屋(御幸毛織、葛利毛織)
http://www.ginyama.co.jp/ginyama_blog

DANKAN
http://dankan.co.jp/

榮屋
http://www.zds.cc/

セニアの生地
http://www.order-suits.com/design/fashion_term/brand_fabric/zegna.html 

ゼニアスーツ研究所
http://www.zsuit.net/

Tuesday, 27 January 2015

津島市天王通り商店街の衰退

津島駅のホームから天王通りを望む、その突き当たりが津島神社となる。

かつては賑わいを見せた天王通り、今はシャッター通りに近い、その最も大きな要因は天王通りにあった市役所の移転であり、道路整備の進展に伴い主要施設が市街地の外側の道路沿いへ移転したことに起因する。同時に、津島の主要産業であった毛織物業の衰退も影響している。

津島神社への参道など歴史ある街並みは、まだ現存するが、衰退の一途を辿っており、帰省するたびに足を向けてみるが、

記憶にある子供の頃の津島駅は、平面構造で大きな駅という印象だった。


正面に見える山は、岐阜県に位置する養老山脈、その手前に、木曽川、長良川、揖斐川が流れている。

市役所があった辺りに建つ中層の集合住宅、この高さを必要ない。商店街を考慮した建て替えにはなっていない。
昭和40年代に建設された公団住宅、その1階に東海銀行津島市店が入っていたが、今は、統合され、三菱東京UFJ銀行となっている、東海銀行はUFJ銀行に統合され、さらに三菱東京に統合されたので、名前は残っていない。

Tuesday, 8 October 2013

津島の秋祭りと山車

津島の秋祭り、丁度、駅に着いたらお囃子が聞こえていた、ホームに上ったら天王通りを駅に向かっていた。