天王川公園の中之島は子供の頃よく遊びに行った。当時、野口米次郎の銅像があったのか、記憶していない。片岡春吉の銅像は堤を背にして大きかったのでその存在は覚えているがそれが片岡春吉だと認識したのは後のことである。後に著名な英文学者である野口米次郎が津島出身であり、イサム・ノグチの父であることを知った。銘板には津島が生んだ国際的詩人と刻まれている。
野口米次郎(ヨネ・ノグチ)は、愛知県津島市(海東郡津島町中島)出身の詩人・英米文学者であり、慶應義塾大学英文学教授として明治38年より昭和17年まで教鞭をとった。津島市天王川公園の中之島に「ヨネ・ノグチ像」があり台座に英詩「Lines(天地創造)」が刻まれ書籍を携えて椅子に腰かけたヨネ像がある。三田評論に野口米次郎の生家のことが掲載されていたことが目に止まり、あらためて実家へ帰ったときに出かけてみた。
野口米次郎は愛知尋常中学校へ進学し、明治23年、15歳の時に家出をし、明治24年に慶應義塾大学へ入学、英米文学夢中になり渡米を志す。明治26年に退学の挨拶を福澤先生に伝えに行くと「結局人生は一六勝負だ(一六はサイコロの目)」と激励された。
明治26年、17歳で渡米、詩人ウォーキン・ミラーと出会い明治29年に詩集を発表、その際、不十分な英語力を補い添削、編集を行っていたレオニー・ギルモアと恋愛関係になり、その息子がイサム・野口である。
野口米次郎の生家が津島市本町4-22に残っている、子孫が所有しているが既に二十年来無住でかなり傷みが激しい。この先、どうなるか不安である、と三田評論が指摘している。グーグルマップで確認したところ、野口米次郎と略歴が書かれた銘板が門横の板塀に掲げられてる。
津島市は江戸時代には七里の渡し(熱田(宮)‐桑名)の代替ルートであった三里の渡し-佐屋の渡し(佐屋湊-桑名)の一里ほど上流にあった津島湊であり、野口米次郎の銅像が建つ天王川公園が津島湊であった。津島湊か天王川を下り、佐屋湊から佐屋川を下り木曽川から鰻江川を通って桑名宿までの河川水運であった。
グーグルマップで生家の住所を検索すると現存する住宅が写真とともに表示される。門左の板塀に野口米次郎の名前と略歴が示された銘板が貼られている。野口家なのか津島市なのか定かではない。津島市はこういう歴史的な遺産をもっと大切にすべきであるが、天王通りの惨状からは行政のマネージメントが問われても致し方ない。近隣の稲沢市では同市井堀出身の荻須高徳画伯を記念した美術館を建設し功績を讃えていこととは対照的である。
第78回 三田評論 2013年4月号 ヨネとイサム・ノグチ 二重国籍者の親子
https://www.keio-up.co.jp/mita/r-shiseki/s1304_1.html
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