Monday, 15 June 2026

アルメニアの桑の実

 アルメニアの桑の実、白、白のが糖度が高い。ナゴルノカラバフ名産の蒸留酒アルツァフの原料。

FBのArmeniaより、

https://www.facebook.com/share/g/1E75EFuw69/?mibextid=wwXIfr

以下本文より、g訳。

桑の実は中国原産です。2000年以上もの間、中国と交易を続けてきたアルメニアの商人たちによってアルメニアにもたらされました。古来より、シルクロードは中国とヨーロッパを結び、桑の実はこの交易路を通じて世界中に広まりました。

桑の実は、その甘さから「ベリーの女王」と呼ばれる果実だけでなく、アルメニアでは「ドゥシャブ」と呼ばれる芳香豊かなジュースも人々に与えてきました。このジュースは、肺炎や風邪に効くと信じられています。


桑の実ジュースのこうした素晴らしい効能は、古代からアルメニアの人々に知られていました。ペルシャとインド征服の途上、アルメニアに滞在したアレクサンドロス大王も、その効能を高く評価しました。

数千年にわたる園芸の伝統と豊富なワイン醸造の経験を持つアルメニア人は、桑の実飲料の味と効能に驚嘆しました。

エレバンをはじめとするアルメニア各地を散策すると、街路樹として並ぶ巨大な桑の木や、庭先に顔をのぞかせている木、公園に涼しい木陰を提供する木々を数多く目にします。濃い緑色の大きな葉と、熟すと地面に落ちる甘い実で覆われた桑の木は、アルメニアの人々にとって大切な存在です。夏の間、低い枝から手で実を摘んだり、木を揺らしたり、木に登ったりして、美味しい実を味わうのは、アルメニアの大きな楽しみの一つです。


エレバンをはじめ、アルメニア全土で、桑の木は白から紫、黒まで、大きさも色も様々な甘い実をつけます。桑の実は初夏に熟し始め、シーズンの終わりまで実り続けます。

アルメニアでは、最高級の桑の実を味わうことができます。果肉は肉厚で、芳醇な香りと甘みがあり、ビタミンも豊富です。街角で桑の実が物足りない場合は、市場へ足を運んでみてください。

アルメニアには桑の実を中心とした豊かな伝統料理文化があり、桑の実をテーマとした祭りを開催するほどです。桑の実祭りは毎年開催されるイベントで、地元の人々にも観光客にも人気です。祭りでは、新鮮な桑の実を各種味わえるだけでなく、桑の実ジャム、シロップ、ウォッカ、乾燥桑の実など、様々な桑の実製品を農家から直接購入できます。


もしあなたが上質なアルコール飲料がお好きなら、ぜひ「アルツァフ」桑の実ウォッカを試してみてください。神秘的で、癒し効果があり、気分を高揚させてくれる飲み物です。

Tuesday, 9 June 2026

目黒本町のシェア畑

目黒本町4丁目の貸農園、シェア畑というらしい。廃業した銭湯の月光泉の道路を挟んだ反対側(北側)、ここは元々は農地だったと記憶している。この辺りでもこのような農地の存在は稀有で、それが数年前から、シェア農園として貸し出されている。町会名が月光町会と旧地名を反映している。

目黒本町周辺は、江戸時代、主に旧・碑文谷村や清水村の一部にあたり、畑や雑木林が広がる農村地帯でした。江戸への農産物供給地として機能し、街道沿いには農家が点在する農村でした。


1889年(明治22年)の町村制施行により、この地域は東京府荏原郡の村域となり、近隣では目黒村や碑衾村が成立した。


東急目黒線の前身である目黒蒲田電鉄の開通(1923年)が大きな転機となり、西小山駅周辺から住宅開発が進んだ。特に同年、1923年の 関東大震災後、都心から郊外への人口移動が進んだ。目黒本町周辺は震災被害が比較的少なく、交通の便も良かったため住宅地として急速に発展した。大正末から昭和初期にかけて耕地整理や宅地分譲が進み、農地は次第に住宅地へ変わっていった。


1932年(昭和7年)には荏原郡が東京市へ編入され、この地域も東京市目黒区の一部となった。


1966年(昭和41年)の住居表示実施によって、それまでの東町・月光町・向原町の全域と、清水町・碑文谷の一部を統合し、「目黒本町一丁目~六丁目」が誕生した。


目黒本町の地名の由来は、地域的にも目黒の中心にあり、上目黒中目黒下目黒はあるが「本町」はないということで住居表示実施の際に、住民および町会の提案・投票を経て採用された地名である。


投票の結果、1位は「清水ヶ丘」であったが、旧称に由来するため不採用となり、2位の「目黒本町」に決定された。その他の候補には「南目黒」や「南が丘」の案があった。