Monday, 29 November 2021

Acrobatでの画像圧縮ーPDFの最適化

PDFに変換したものの画像だと思われる要因によりファイルサイズが大きくなる。その際、Acrobat 9 Proの編集機能を使って画像圧縮を圧縮するとファイルサイズが3分の1程度になる。

何度となくこの問題に直面し、その都度、やり方を検索して対処しているので、備忘録的にメモをここに残しておく。 

1)ファイル、その他形式で保存、最適化(バージョンの異なるようだ)

Acrobatでの画像圧縮

https://helpx.adobe.com/jp/acrobat/kb/40991.html

2)メニューバーから、アドバンス>印刷工程>PDFの最適化

PDFの最適化がポップする。

カラーサイズを200dpiにすると概ねオリジナルの3分の1になった。


 


 

Sunday, 28 November 2021

キンモクセイ(金木犀)ではなくギンモクセイ(銀木犀)

 アパートのギンモクセイの生垣、なぜ香りの良いキンモクセイを植えなかったのかと思っていたが、今、11月初旬、花が咲いている。控えめながらギンモクセイも香りを漂わせている。先ほど認識した。 キンモクセイの花は9月に入ってから咲くので金と銀で2カ月の差があるということになる。





 

 

 

Sunday, 21 November 2021

イタイプ水力発電所の思い出

日本でニュース報道されることは稀だろう、ブラジルとパラグアイ国境のパラナ川を堰き止めたイタイプ水力発電所を視察した、ANDE(パラグアイ電力公社)から申し込んだのでテクニカルコースだったようで内部まで視察できた。

私の後ろに700MWの発電機が20機並んでいる、つまり14,000MW、よく見ると3メーカー(ジーメンス、アルストム、東芝か日立だった、記憶が薄れている)が交互に配置してあった。この規模は初めてで壮大だった。

この時の主たる出張の目的はイタイプのやや下流、イグアス日系人移住地にあるイグアス貯水池下流に既に水力発電所70MWx2が存在していたが、貯水池に水力発電所を建設する事業の現地踏査だった、貯水池は下流でパラナ川へ合流する。


ヤフオクでの落札した際の送料

ヤフオクで同じ出品者(大阪の個人事業主だろう)から2点落札して同梱にしてもらった。発送は佐川急便、届いた段ボールのサイズが80なので1155円のはずだが、100サイズの送料1496円が請求されていた、341円の差だが。

Saturday, 20 November 2021

パナマ運河と日本人土木技術者

 パナマで仕事をしたときに知った日本人技師、青山士(あきら)、パナマ運河建設に測量技師、設計技師として従事した。

パナマ運河工事委員会の委員だったコロンビア大学のBurr教授を頼って大学卒業後に渡米、運河工事が中断(フランスのパナマ運河会社が倒産し、米国が建設に乗り出すところ、そのためにパナマをコロンビアから分離独立(ヘイ・エルラン条約1903年)させた)していたことから鉄道会社を紹介され測量技師として働いた。

パナマ運河建設委員会にはBurr教授の紹介で1904年6月に採用され、パナマ運河開通(1914年)前の1911年11月まで従事、その後帰国、その背景には米国での日露戦争後の日本への警戒感の高まりがあったとされている。青山はガトゥン工区副技師長に昇進し、ガトゥン閘門の主要部分の設計を担当した。帰国後は内務省技師となり荒川放水路事業に係わった。


 

Friday, 19 November 2021

フランクフルト空港のセキュリティチェック

フランクフルト空港のセキュリティチェックの女性係員は摘発に燃えているので要注意というのが教訓だった。手間暇かけて荷物の中身を全部出させて、何も見つからなく、当たり前だが、そのまま放置だったなあ。2016年11月。

フランクフルト空港のセキュリティチェック(EU域外からEUへ、若しくはその反対)は高い確率で手荷物が再チェックとなる。今日はPCキャリーバッグとキャリーオンの二つとも再チェックになった。

先ずはキャリーオンから、ファスナーを開けると、テープで数カ所から付着物を採取し検査器にかけた、陽性だと化学物質に反応した表に書き込まれる。今日の係員は30?40代と思われる背の高い金髪の大柄な女性、検査器が陽性を示したらニヤッと笑みが溢れて得意げに表に記入し始めた。
 

ここまでは特に問題無いが、警察官立会いの下、全ての荷物を、ケースに入っているものも全部トレイに出して中味を押しながら確認する。カメラバッグの中味全部、昨晩着替えた下着類、予備の下着類、アダプタ類、ハンドタオル、本、資料、昨日買ったカルカデ、入れっぱなしになっている細々とした物等、トレイ3つになった。昨日、マラケシュで買った透明な袋に入ったカルカデを潰しにかかった時にクレームした、見ればわかるのに。当然だが持込み出来ない物は無い、バツが悪いのか無言でその女性係員は立ち去ってしまった。

PCバックは別の係員が確認し、逐一検査はせずハンドクリームが問題だと説明があった、では、キャリーオンは何が問題であったのかと尋ねたところ、小さな内ポケットに入れてあったエミレーツ航空の歯磨きセットが原因とのこと。手荷物の逐一検査とトレイに出されたのを戻すのに約30分要した。

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区の無料胃癌検診

今週は健診ウィーク、健康診断を受診しようと手続きを進めていたところ、目黒区報に無料胃癌検診の案内が掲載されていたことを思い出して、先ずは消化器系専門クリニックで受診することにした。それゆえ、予定している健康診断では内視鏡検診を追加せず腹部エコー検査だけにして手続きした。これは上手くいったと思ったがクリニックで説明を聞いたところ、区の無料胃癌検診は検診のみで異常が見つかった場合は、再診での保険診療になるとのこと。また、明らかに癌細胞でないと検体を採取することはできない、疑いでは採取できない、という。(人間ドックでは出来るが検診ではできない、この点がよくわからなかったが。)
 
更に内視鏡検査はゲロゲロになるのが常で非常に辛い、私の場合は。それゆえ5年以上だと思うが間が空いている、バリウムを飲んでのX線撮影も内視鏡検査も腹部エコーも3年以上前から定期健康診断の項目から外れている。なので帰国時の検診では胃も腹部エコーも検査していない。内視鏡には口からと鼻からがあるが、ゲロゲロの原因を通過しない鼻からだと被検者にとっては楽だが、医師の視点では鼻からの内視鏡では見えにくいようで、口からの内視鏡が望ましいとのこと。鎮静剤(全身麻酔のようなものかな?)は区の検診では使用は不可(区によって異なる、世田谷区、杉並区は可←これは両区ともHPで確認したところ不可、局部麻酔のみ。)であるが、保険医療では使える。通常、内視鏡検査では喉に塗布する麻酔のみ。私のこれまでの内視鏡もこの喉に塗布する麻酔だった。
 
よって区の無料胃癌検診ではなく胃のもたれの診療として内視鏡検診を行った。鎮静剤は静脈から注入すると意識がなくなり(区はこの点をよしとしない)、その間に内視鏡検査が行われる。鎮静剤(麻酔)により検査が終わってしばらくフワフワしていたので、少し休んでから内視鏡検査結果の所見を聞いた。ポリープ(以前もありその場で取られた)は2カ所に、そして、黒い点(何かの跡?)、十二指腸の入り口、食道から胃への入り口に若干の炎症状(色が異なる)がみられたものの癌へ進展する組織は見られないということだった。生体検査の結果は2週間後、10年くらい前に受診した1日人間ドックの総合病院だとその場で医師が顕微鏡を覗いて判断してしてたが、クリニックなので委託しているのだろう。無料検診が保険診療で約2万円となったが専門医にしっかりと診てもらったのでこれで良しとしよう(現実はその差額が非常に応えるが)。
 
胃とは直接関係ないが、内視鏡検診の際に胸部と腹部のX線(クリニックレベルだとサイズが小さいのか、私の胸部全体が入らず何度も取り直した)と心電図の結果から、背骨が曲がっている、胃の異常はない、心臓が大きい、肺動脈が太いなどの指摘があり、心臓エコー(これも内視鏡)を勧められた。健診のつもりで検診したので異常は無くて当然だがそのように診断された(生体検査結果は2週間後だが)のでひとまず安心した。

Wednesday, 17 November 2021

後期高齢者医療保険制度と個人事業主

個人事業主は、開業届(所得税法第229条)を税務署へ届出することにより個人事業主となる。

 
後期高齢者医療保険制度とは、75歳(寝たきり等の場合は65歳)以上の方が加入する独立した医療制度です。対象となる高齢者は個人単位で保険料を支払います。
 
65~74歳前期高齢者(前期高齢者医療制度)については、健康保険組合、国民健康保険等の医療保険に加入しますが、 高齢者が国民健康保険に集中する傾向があるため、各保険者の加入数に応じて財政調整が行われます。
 
前期高齢者医療制度
後期高齢者医療保険制度に加入している75歳以上の高齢者の医療費負担は、
課税所得が145万円以上が3割負担 、
課税所得が145万円未満が1割負担 、
 
七十五歳以上が加入する後期高齢者医療制度の負担割合は現在、課税所得百四十五万円以上で年収三百八十三万円以上(七十五歳以上が複数いる世帯は五百二十万円以上)が三割で、それ以外は一割となっている。

https://www.kenpo.gr.jp/scsk-kenpo/contents/01shikumi/kourei/kouki.html


課税所得で145万円以上、が医療費は現役並み、3割負担となる。

https://www.hoken-clinic.com/teach_qa/health_insurance/11.html

 

個人事業主の「税込年収」とは、総収入額から売上原価や経費を引いたもの、とのこと。 

 

個人事業主は法人税がないから、収入に対する所得税が法人税替わりなのかな?そうなると毎年収入が変わる場合、健康保険料や住民税も変化する。住民税も収入ベースだからそれなりなのか。後期高齢者医療保険料も所得割があるのでそれに応じて納めなければならない、課税所得に対して。

http://www.tokyo-ikiiki.net/easynavi/fee/1000530.html


会社組織だと役員報酬などになるから、報酬を変えなければ保険料や住民税は大きく変動しない、はず。



Saturday, 13 November 2021

2015年11月13日、アジスアベバの思い出

今夜は、航空機の離発着する音が良く聞こえる。ここは比較的空港に近いからだが、風向きなのだろうか?

今夜は年末の帰国便を確定しようと意気込んでいたが帰宅したら停電、自家発電機で照明はあるもののネットは切れていた。冷蔵庫もだが。近所の韓国料理屋で蝋燭の灯りの下、夕食を済ませ、戻ってベッドに横になったら寝入ってしまった。
 
夜中に目が覚めたら自家発電機の音がしなかったので、フライトの確定をした。先週末に予約していたフライト、慌てていたのだろう、席の予約を忘れていた。トルコ航空は予約完了後はオンラインで席の予約ができないようなので明日航空会社のオフィスに連絡しなくてはならない、予約出来ることを期待したい。
 
年末年始のフライトの予約はかなり悩ましい。10月末と11月初めとでは搭乗出来る乗継ぎフライトが不便な便になり料金も高くなるなど日一日と変化した。往路、イスタンブール当日乗継ぎが11月初めでの確認では出来なくなり、丸一日のトランジットとなった。
 
トルコ航空の場合、予約しておいて支払いは後から、2週間以内だったと思う、とした方が良さそうだ。その範囲ならばキャンセルも出来る。今回、それを失念していた。
 
オンラインでの予約は時間の経過とともに条件が悪くなるので希望的には早めの予約にしたい。特にストップオーバーの場合、直行便よりもだ。今回、復路、イスタンブールで2泊する、最初は3泊、成田発午前便のつもりだったが、予約が既に入らなかった。前述、往路の乗継ぎも然り。
 
思い切って星組で地球一周コースが出来ないかと検索したが、オンライン上ではイスタンブールに戻された。JFK往復を入れても、その時は1700ドル代だったのでお得感があった、いつかこのルートも利用してみたい、当地からNY出張ででも、DCならあり得そうだ。
こんな事に注力したくないが致し方ない、寝不足にならないよう調整せねば。

 

Monday, 1 November 2021

船頭平閘門と木曽三川分流工事

子供の頃から行ってみようと考えていた旧立田村福原地区は、木曽川と長良川の中州、愛知県と三重県の県境に位置する。小中学校は福原分校というのがあった、福原地区のすぐ南側は長島町で三重県になる。つまり福原地区は中州なので立田大橋が出来るまでは渡し舟か、国道1号線の木曽川と長良川の橋と途中からが仕切り提のある三重県長島町から北上するアクセスしかなかった。2021年7月、立田大橋を渡って木曽川と長良川の背割り提から福原地区へやっと足を向けることができた。

 



その福原地区に船頭平閘門という木曽川と長良川の間をつなぐ閘門(式運河)がある。運河の定義では内陸閘門という。私的には閘門式運河のように見えた、まさしく、パナマ運河と同じ、閘門で閉じられた水路に船を進め、水を入れたり、抜いたりして、その先の河川の水位に合わせて船を航行する。プチパナマ運河のようだ。

 

なぜ、閘門がここにあるかというと、若干、木曽三川の歴史をさかk登らなければならない。木曽三川の下流域は、木曽川、長良川、揖斐川の三川が合流しており、逆流などして洪水など水害が絶えなかった。江戸時代にも分流工事に薩摩藩が幕府の命を受けて取り組んだ宝暦の治水があるが、明治期になり、オランダから技術者を招聘し、ヨハニス・デ・レーケの監督の下、近代的な土木技術により治水工事、つまり、木曽三川分流工事が行われた。

その分流工事により、それまでは木曽川から長良川の対岸まで航行できたが背割り提が築かれたことにより、河口まで下り迂回しないと木曽川から長良川へ、その逆も、航行できなくなり、水運に支障をきたすことが見込まれた。

そのため、木曽三川分流工事が開始された1892年(明治25年)の2年後、1894年(明治27年)に木曽川と長良川の間をつなぐ水路の建設が決定、1899年(明治32年)に着工、1902年(明治35年)に完成した。当時は、両河川の水面の高低差が約1メートルあり、閘門によりその調整を行うことにした。 

現在、長良川側の水位が木曽川の水位よりも約1.5メートル高い、それは長良川河口堰建設の影響とのこと。また、木曽川の水位が低いのは東海大橋上流に建設された馬飼頭首工の影響とのこと。

閘門の開閉は手動式であったが、1994年(平成6年)に電動へ改修工事が行われた。2000年(平成12年)5月には重要文化財に指定されている。

また、1987年(昭和62年)10月に開設された国営木曽三川公園中流部の一翼を担う船頭平河川公園として周辺一帯が整備され、木曽三川の治水工事に関する情報公開の拠点として木曽川文庫が設置された。公園内には、改修工事前の水門扉の展示や、明治の三川分流工事にを指揮したオランダ人土木技術者ヨハニス・デ・レーケ像がある。 

 

木曽川文庫は、船頭平閘門管理所の2階にあり、木曽川治水百周年事業の一環として1987年(昭和62年)10月8日に開設された。施設の床面積は約170平米、書籍や資料を所蔵する書架コーナーのほか、閲覧コーナーや資料の展示コーナーを備え、所蔵点数は約4,500点で、明治改修までの資料を中心としている。建物のデザインが、なぜこんな中州にヨーロッパと朝というか、パリっぽいデザインで驚いた。周囲の桜は立派で桜の季節に来てみたいと思わせる桜の大木が多く植えられている。