Wednesday, 20 October 2021

2012年10月19日、51日間の入院治療を終えこの病院を退院した

 2012年10月19日、51日間の入院治療を終えこの病院を退院した。9年前になる、もうこんなことはないと思うが、記憶に焼き付いているので文字にしておくことにする。

それは心内膜炎という感染症に罹患したからである。南アジアの有償専門家業務が始まったばかりでスリランカのコロンボへ3週間の予定で出張しており、月曜日の夜に帰国するという最後の週末の土曜日の夜に40度を超える熱が出た。これはただ事ではないと思ったが解熱鎮痛剤も持っておらず、日曜日はひたすら寝ていた。月曜日の朝に事務所へでてパナドールというアセトアミノフィン系解熱鎮痛剤を飲んだら熱が下がり楽になったが、6時間くらい経過するとまた40度の熱がでた。現地の病院へという提案もあったが尋常ではなかったので予定通りの帰国を、夜行便で帰国予定だったので薬を飲み続けてシンガポール航空に乗った、よりによって時間のかかるフライトルートで翌朝、シンガポールに着き、乗り換えて成田には火曜の夜着いた。
 
翌朝、水曜日、白金台の東大医科学研究所病院へタクシーで直行、コロンボで40度超と説明したら直ぐに採血、結果が出るまで既にアポが入っていた帰国報告を兼ねてJとの打合せに出ていたら病院から直ぐに戻るように、と連絡が入った、白血球数が異常だという。Jの後に病院へ戻り、入院、血液検査の同定が行われ、黄色ブドウ球菌による心内膜炎、翌日、抗生物質耐性であるということでメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)による心内膜炎との診断だった。感染症なので隔離、つまり個室へ移動した。黄色ブドウ球菌が心臓の三尖弁に増殖し、その横にある肺動脈からバクテリアが肺に入り、肺炎を起こしているとの説明だった。確かにX線画像は真っ白だった、そしてもしかしたら心臓手術が必要になるので心臓外科のある病院へ転院となり、近くにある東五反田の関東病院(NTT東)へ救急車で3日目に転院した。心内膜炎、ほとんど原因が特定できないとのこと、歯科や外傷から突発的にMRSAが体内に入り増殖する、それが概ね3週間くらい前とのこと、コロンボへ出張したばかりだし、コロンボでなければ東京だろう、歯科は行ったかもしれないが、感染の心当たりがまったくない。
 
関東病院への転院は救急車で搬送され、救急外来に横付けされそのまま5階のCCU(Cardiac Care Unit:心臓病集中治療室)、ICUと同等、に入院した。治療方法は抗生物質、点滴で投与したが最初の抗生物質は効果なく、熱が下がらなかった。とにかく、熱が定期的に40度に達するのでこれがかなりつらい。解熱剤を飲むと少し下がるので楽になるが、薬が切れると熱が上がる、それの繰り返しだった。
 
HCUは24時間看護、面会謝絶、家族が呼ばれ医師から重篤な内容が説明されたようで、電話で話したが家族の驚きように驚いた。熱以外には特に症状がなく、食事は味がせずあまり食べられなかったが、意識ははっきりしていた、トイレにも自分で行けた。パソコンを持ち込んでもよくHCUにLANソケットがあったので看護師に確認したら主治医の承認が得られインターネットに繋がった。メールとウェブは使えるので熱が下がっている時は報告書が書けた。
次が効かないと後がないとの説明でファイザー社製の化学合成の抗生物質を投与された。運よく、これが効き、熱が39度を切った時にはかなり楽だった。結局、6-7日間ほどHCUにいて投与が続き、熱が下がっていったので一般病棟へ移った。
 
この抗生物質は一日2回、6週間連続投与だった、その間に薬が効いているのか、三尖弁に増殖したバクテリアの大きさを定期的に確認した。最初は1cm大だったが薬が効いて少しずつ小さくなっていった。この検査が辛かった、内視鏡と同じように超音波のセンサーを口から食道まで入れ心臓を視る。専門医じゃないとこの画像だけではな判断できないと画像を見て思ったものだ。
 
この検査の他、血管を経由して身体全体にMRSAが転移していないか、放射性物質を前日にのみ、翌日、ガンマ線カメラで身体全体を撮影した。光っている箇所が転移しているとのこと、背骨の上から5番目と6番目の間が光っており、転移していた。何度の主治医に聞かれたが痛みはないのか、と。もう少し下の方だと強い痛みがあるとのこと、また、脳に入ると脳梗塞だという。
 
罹患したのは不運だったがその後のケアがしっかりして幸いだった。体力を付けるようにと病院食以外にも食べたら太ってしまいこれはこれで問題で栄養指導を受けることに、それで階段を上り下りして5kg落としたら身体が軽くなった。
 
退院後、4週間ほどで仕事を再開、最初の出張がインドとパキスタンだった、通常、こういう組合せで連続は組まないだろうという日程だったが、一旦、ニューデリーからバンコクへ出てからラホール入りした。クライアントからは入院した事で業務(この出張)が予定どおり進まなかった(9月初めの予定だったのに)と理性のないお叱りを受けた。
 
退院して最初にやった事は自転車を買ったこと、碑文谷の自転車屋で普通のシティサイクル自転車、身長の関係で27インチの車輪、外装6段変速にした。その帰りに碑文谷テラスでランチ、久しぶりの外食、美味かったな。

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