Thursday 13 April 2023

タシケントの春、アパート前

2009年4月13日

住んでいたタシケントZukovski 通りのアパート、2009年春先。日本大使館のあるAzimov通りの続き。近くShastriインド首相(タシケントで客死)の胸像がある。

このアパートの一角は敷地がゆったりとして、林の中のアパートのようだった、エントランス前には名前がわからないが青紫色の花が咲いていた。 

2009年4月19日、タシケントのアパート前の春、ここは日本大使館と同じ通りZhukovski Street(現在は名称が変更されている)にあるRC造+ブロック積み5階建て、EV無しのアパート(フルフショフカとは別物)、中階段式、階段の両側に住戸が配置されていた。詳細は定かではないがタシケント大地震(1966年4月26日)後に建てられた耐震耐火構造。この時、復旧のための人手が不足し全ソ連から募ったが、その後、タシケントに残るように指示があり、そのまま残らざるを得なかった人が多かったという。アパートの間取りは既にソ連時代のから変更されていた。オリジナルは3DKであったと思う。このアパートはDKと一部屋繋げて、2LDK仕様であった。ベランダがサンルーム的に改装され、外との境の窓がベランダ側となっていた。クッカーはDK側ではなくベランダにプロパンガスのがあり、シンクがDKにあった。元々はDKにクッカーがあり後でベランダ側にだしたのであろう。暖房はセントラルヒーティングで各部屋に輻射熱のパネルがあった。これはソ連時代のままなのではと思う。バスは扇型のバスタブでかなり使いにくかった、普通のでよい。改装が改装になっていないアパートだった。どうもJICA関係者が住んでいたようで足元を見透かされていたようだ。家賃は月額1200米ドル、600-800ドルでも物件はあった。スタンダードなソ連様式のアパートはデザインされており、使い勝手は悪くなかったはずだ。






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