Tuesday 22 February 2022

北里柴三郎と国立伝染病研究所(東京大学医科学研究所)

北里柴三郎は母校の教授陣とは反りが合わなかったようで独自の道を歩んでいる。
ベルリンから帰国して福澤諭吉の支援で1892年11月、私立伝染病研究所を芝区愛
宕町に設立している。

福澤諭吉と北里柴三郎の「情熱」
https://www.keio.ac.jp/ja/contents/stained_glass/2004/241.html

1899年(明治32年)、私立伝染病研究所は内務省管轄の「国立伝染病研究所」と
なり、北里は伝染病予防と細菌学に取り組む。

その後、研究所の研究員が増え、業務範囲も増えたことから、1902年(明治35
年)、白金台に2万坪の土地を購入し、1906年(明治39年)11月、伝染病研究所、
血清薬院、痘苗製造所の3機関からなる国立伝染病研究所(現東京大学医科学研
究所)となった。

1914年(大正3年)、国立伝染病研究所が内務省から文部省に移管され東京帝国
大学に吸収されることになったが、北里はこの移管に反対して所長を辞任した。
また、志賀潔をはじめとする研究所の職員全員も一斉に辞表を提出した。これは
「伝研騒動」といわれ、北里は同年11月5日に私費を投じて「北里研究所」を設
立、初代所長に就任した。

明治村北里研究所本館・医学館(ドイツ・バロック様式)

1917年(大正6年)、帰国時の福沢諭吉による支援への恩返しとして 慶應義塾大
学部医学科の創立に尽力し、医学科学長となる(医学科は1920年(大正9年)に
医学部となる)。北里はその後医学部長、病院長となるが慶應義塾からの給与支
払いを終生固辞した。

北里研究所は医科研の近く、白金5丁目に位置している、現在は北里大学北里研
究所病院がある。ドイツ・バロック様式の北里研究所本館は1980年に明治村へ移
築されている。

北里大学北里研究所病院
https://www.kitasato-u.ac.jp/hokken-hp/

北里研究所病院内に展示室がある。また、故郷の熊本県小国町に記念館が設けら
れている。

北里研究所北里柴三郎記念館展示室
https://www.kitasato.ac.jp/jp/kinen-shitsu/index.html

北里柴三郎記念館(熊本県小国町)
https://manabiyanosato.or.jp/kitazatomuseum/

医科学研究所の正門を入って左側に近代医科学記念館がある、そこに医科研の歴
史と北里柴三郎の業績等が展示されている。

近代医科学記念館
https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/about/museum/index.html

医科学研究所に隣接して旧国立公衆衛生院があり、関東大震災後にロックフェ
ラー財団の寄付によって建設された建物(東大本郷、駒場キャンパス同じと内田
ゴシック様式)のまま、2002年に移転し、その後、港区へ移管され港区郷土歴史
館となっている。

2周年のゆかしの杜-港区郷土歴史館(旧国立公衆衛生院)
https://eastriver229.blogspot.com/2020/11/2.html


 

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