Contax T2、防湿庫に長年眠っていたが先日手放した、それゆえ回想を。
記録によると1998年に新宿南口の中古カメラ店なのでマップカメラだと思うが、そこで中古品を6万円程度で購入した。質感のあるカメラで以前から使ってみたかった。丁度、それまで使っていたオリンパスAF-1という使い勝手の良かったカメラをソフィアで仕事をしているときにブルガリア人の知人に置いてきた。Contax T2は、35㎜自動焦点のフルオートマチックで単焦点のSoner 38mm f2.8付きだった、どの程度の写りなのかと興味津々だった。写真用フィルムの出荷は1997/1998年がピークでその10年後の2008年には出荷数は10分の1へ減少している。これはデジタルカメラの普及によるものだ。この時期にフィルム事業からの撤退が相次いだ。
実際にContax T2で撮影したのは数年だろうか、この後、使えるデジタルカメラが普及しはじめたこともある。SONY Digital Mavica(1997年発売)という記憶媒体がFDDだったデジタルカメラは撮って直ぐに使えて便利だった、解像度は38万画素、VGAなので640x480dpiだったが。仕事を考えると使い勝手が優先する。
Contax T2は2000年11月に出張したエジプト・カイロに携行した。短期出張でありコンパクトで便利だったからである。カイロでは時間が許す限りシャッターを切った。現地の日本人にも評判がよかった。その他、当時の出張先であるルーマニア、コスタリカ、ブラジル、シリアなどに携行したはずだ。
そのうちあっという間にフィルム自体の生産が減少していく、その一方でデジタルカメラの性能が向上していった。そして、2004年にNikon D100を購入したあたりからContax T2は趣味の世界に突入した。
このT2は京セラが製造したものだが、根はツァイス・イコンである。
1972年、カール・ツァイス傘下のカメラメーカーであるツァイス・イコンはコンタレックスシリーズのスーパーエレクトリックを最後にカメラ生産を打ち切った。レンズを供給していたカール・ツァイスは新たな供給先を模索、旭光学にカメラ事業提携の提案があったが、旭光学は社内でペンタックスとコンタックスのブランドが衝突することを恐れて断わった。
1974年、カール・ツァイスはヤシカと提携してコンタックスRTSを発売、コンタックスは復活した。正式名称は単にコンタックス(CONTAX )だがツアイス・イコンのコンタックス(Contax )と区別するためヤシカ・コンタックスと通称される。
1983年ヤシカは京セラの傘下となり、マニュアルフォーカス・オートフォーカス一眼レフカメラやオートフォーカスレンジファインダーカメラを製造し、京セラ・コンタックスと呼ばれた。
2005年、京セラはコンタックス事業の終了を発表した。、
CONTAX T2レビュー
https://www.camera-girls.net/magazine/howto/contaxt2/
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