Tuesday 14 September 2021

エチオピア暦とエチオピア新年とコーヒーセレモニー

 2021年のエチオピア新年は9月11日、エチオピア暦に基づくので毎年同じ日ではない、2023年が9月12日だがそれ以外は9月11日、そして数年のズレがある。2016年9月11日新年はエチオピア暦で2009年であった。 

It is the new year of year 2009 in Ethiopia today 11 Sep 2016!

 エチオピア歴の2009年の新年は2016年の9月11日(日)、その前日の大晦日に私が宿舎代わりにしているゲストハウスでコーヒーセレモニーが行われた。オーナー夫妻、そしてレセプショニスト、サラたちがホストで、宿泊客がゲストでした


 サラがコーヒーを担当、七輪の炭火でローストした後、宿泊客にその香りを一人一人に確認してから、臼で粉に挽き、陶器のポットに入れてから沸かしたお湯を入れる。上澄みのコーヒーをカップ、アラビアコーヒーのカップと同じデミカップ、取っ手の付いていない、に入れて客に出す、お代わりを2-3杯するのが礼儀とのこと。その間、客は歓談し、コーヒーが入った後、新年と書かれたケーキをいただいた。床には藁と花弁が敷かれていた。

 

 
 


 
 

白いエチオピア正教の民族衣装を着たオーナーのAbabaはエリトリア出身で当時はエチオピア政府の監視下にあった。そんな状況からか夫婦で米国グリーカードを取得、息子2人も米国在住、その1人が味の素勤務だという。2017年当時、Ababaとの立ち話で伯父が亡くなったのに葬儀にも行けないと嘆いていたことが思い出される。

その後、2018年4月にハイレマリアムからアビーへと政権交代があり、その直後の2018年7月にエチオピアはエリトリアと電撃的に国交回復した。エチオピアとエリトリアの関係は民族的にはエチオピア正教徒で言語もよく似ているが、政治的には複雑な関係であった。

1991年にエリトリア人民解放戦線(EPLF)がティグレ人民解放戦線(TPLF)とともにメンギスツ政権を倒し、社会主義政権が崩壊した。TPLFを中心とした反政府勢力連合エチオピア人民革命民主戦線 (EPRDF)によりエチオピア新体制を確立、当初の合意通り、1993年にエリトリアはエチオピアから分離独立した。しかし、1998年5月にエチオピア・エリトリア間で国境紛争が起こり、2000年6月まで続いた。この紛争はロシアがエチオピアを、ウクライナがエリトリアを支援した代理戦争としての側面もあった。  

さて、エチオピア暦について説明が必要であろう。エチオピア歴はユリウス暦そのものではなく、コプト暦と同じ、1ヶ月を30日とし、4年一度閏年を入れ、1年13か月の構成、よってグレゴリオ暦より7-8年の差が生じている。

「エチオピア及びエリトリアのエチオピア正教会や東方典礼カトリック教会、コプト正教会などに所属するキリスト教徒のための教会暦としても使用されている。古代エジプトの暦法に由来するコプト暦に基づく恒星年であるが、ユリウス暦と同じく例外なく4年に一度の閏日を取り入れており、ユリウス暦の8月29日か8月30日に年が始まる。イエス・キリストの生誕年の解釈の違いにより、グレゴリオ暦との間に7、8年の差が生じている。 

コプト暦同様、1月から12月までは、毎月が30日である。その後に5日または6日の追加日が挿入される。これが13月である。エチオピア暦の年・月はコプト暦と同様であるが、月の名称はゲエズ語による。4年毎に、(ユリウス暦のように2月に29日を挿入するのではなく)8月29日の後に5日ではなく6日の追加日(エパゴメレ)が挿入される。このように1901年から2099年までの間は、エチオピア暦の新年はマスカラム月の1日、つまりグレゴリオ暦の9月11日に始まる。しかし、グレゴリオ暦の閏年の前年は、グレゴリオ暦の9月12日がエチオピア暦の新年である。」(wiki)

 現在の西暦はグレゴリオ暦である。ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦の改良を命じ、1582年10月15日金曜日から行用されている暦法である。

グレゴリオ暦の本質は、平年では1年を365日とするが、400年間に(100回ではなく)97回の閏年を置いてその年を366日とすることにより、400年間における1年の平均日数を 365日 + (97/400)日 = 365.2425日(365日5時間49分12秒)とすることである。この平均日数365.2425日は、実際に観測で求められる平均太陽年(回帰年)の365.242189572日(2013年年央値)に比べて26.821秒長いだけであり、ユリウス暦に比べると格段に精度が向上した。(wiki)

日本では1872年に採用され、明治5年12月2日(旧暦)の翌日を、明治6年1月1日(新暦)(グレゴリオ暦の1873年1月1日)とした。 

下の2枚はゲストハウスの玄関にやってきた女性の集団、太鼓を叩きながら各家庭を回ってお布施を貰う、エチオピア北部の人達とのこと。





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