都営青山北町アパート、2015年はまだプロジェクトが始まる前だったんで、こんな感じでした。
http://residencewatch.blog.fc2.com/blog-entry-461.html
今は塀に囲まれて取り壊しを待つのみ。
なぜこのような広大な土地が表参道と青山通りの一枚入ったところに存在するのか?それはここには東京府青山師範学校及び附属小学校、旧制中学などがあったからである。
1900年(明治33)年に東京府師範学校及び附属小学校として小石川区竹早町からこの地である赤坂区青山北町5丁目に移転・開校した。
1908年(明治40年)、東京府青山師範学校および東京府青山師範学校附属小学校と改称、
1936年(昭和11年)に世田谷下馬町に移転した。そして、
1939年(昭和14年)から翌年までは東京府立青年学校教員養成所が置かれた。
1940年(昭和15年)には東京府立第十五中学校(東京都立青山高等学校の前身の一つ)がここに開校した。しかしながら、
1945年(昭和20年)5月の米軍による東京大空襲に焼失した。
戦後、この教育施設用地を利用して
1957年(昭和32年)から1968年(昭和43年)にかけて都営青山北町アパートとして4階から5階建てのアパートが25棟建設された。長らく昭和の空間でしたが50年を経て都営住宅の耐震化整備に伴い高層化、再開発されることとなったのである。
北青山三丁目地区まちづくりプロジェクト
https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/bosai/toshi_saisei/saisei04.htm
Thursday 19 November 2020
都営青山北町アパートの再開発
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