都営青山北町アパート、5年前はこんなでしたけど、今や、こんなビルになってしまった。半分完成し、これから外苑西通り方面側の半分が施工になるのだろう。
http://residencewatch.blog.fc2.com/blog-entry-461.html
北青山三丁目地区まちづくりプロジェクト
https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/bosai/toshi_saisei/saisei04.htm
その名は「クラス青山」、三井不動産が賃貸している住棟。その奥、左に見えているのが建て替えられた都営住宅。
https://www.mitsui-chintai.co.jp/resident/original/aoyama/



クラス青山の賃貸住宅空き室情報
https://www.mitsui-chintai.co.jp/rf/tatemono/8476
東京都の賃貸住宅はこちらです。
公社住宅募集センター:東京都住宅供給公社の賃貸住宅
https://www.to-kousya.or.jp/chintai/
Thursday, 19 November 2020
クラス青山と都営青山北町アパート再開発
都営青山北町アパートの再開発
都営青山北町アパート、2015年はまだプロジェクトが始まる前だったんで、こんな感じでした。
http://residencewatch.blog.fc2.com/blog-entry-461.html
今は塀に囲まれて取り壊しを待つのみ。
なぜこのような広大な土地が表参道と青山通りの一枚入ったところに存在するのか?それはここには東京府青山師範学校及び附属小学校、旧制中学などがあったからである。
1900年(明治33)年に東京府師範学校及び附属小学校として小石川区竹早町からこの地である赤坂区青山北町5丁目に移転・開校した。
1908年(明治40年)、東京府青山師範学校および東京府青山師範学校附属小学校と改称、
1936年(昭和11年)に世田谷下馬町に移転した。そして、
1939年(昭和14年)から翌年までは東京府立青年学校教員養成所が置かれた。
1940年(昭和15年)には東京府立第十五中学校(東京都立青山高等学校の前身の一つ)がここに開校した。しかしながら、
1945年(昭和20年)5月の米軍による東京大空襲に焼失した。
戦後、この教育施設用地を利用して
1957年(昭和32年)から1968年(昭和43年)にかけて都営青山北町アパートとして4階から5階建てのアパートが25棟建設された。長らく昭和の空間でしたが50年を経て都営住宅の耐震化整備に伴い高層化、再開発されることとなったのである。
北青山三丁目地区まちづくりプロジェクト
https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/bosai/toshi_saisei/saisei04.htm



Tuesday, 23 June 2020
昭和の空間だった「都営青山北町アパート」の再開発の一部が完成
この再開発は3区画に分かれており、都営住宅の建て替え事業が2019年12月に竣工とのこと。





都営北青山三丁目アパート
https://skyskysky.net/construction/201984.html
民活事業は「ののあおやま」という街区名称に。
「ののあおやま」
https://pdf.irpocket.com/C8804/mHyw/faQ0/gc5E.pdf
なぜこのような広大な土地が表参道と青山通りの一枚入ったところに存在するのか?それはここには東京府青山師範学校及び附属小学校、旧制中学などがあったからである。
1900年(明治33)年に東京府師範学校及び附属小学校として小石川区竹早町からこの地である赤坂区青山北町5丁目に移転・開校した。1908年(明治40年)、東京府青山師範学校および東京府青山師範学校附属小学校と改称、1936年(昭和11年)に世田谷下馬町に移転した。そして1939年(昭和14年)から翌年までは東京府立青年学校教員養成所が置かれた。1940年(昭和15年)には東京府立第十五中学校(東京都立青山高等学校の前身の一つ)がここに開校した。しかしながら、1945年(昭和20年)5月の米軍による東京大空襲に焼失した。
今となっては昭和の空間だったのだが、都営住宅の耐震化整備に伴い高層化されることとなった。それは以下のプロジェクトである。
北青山三丁目地区まちづくりプロジェクト
https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/bosai/toshi_saisei/saisei04.htm
基本計画
https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/bosai/toshi_saisei/data/saisei04_12.pdf
2015年当時の都営青山北町アパート
http://residencewatch.blog.fc2.com/blog-entry-461.html
東京大空襲の時、昭和20年5月、表参道と青山通りの交差点での火の回り方の状況が描写されている。角にあった山陽堂書店、現在もある、の地下に逃げ込んで逃れた云々。
ワシントンハイツ :GHQが東京に刻んだ戦後
https://www.amazon.co.jp/dp/4101359865/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_VLm8EbM6D28RY
Tuesday, 19 May 2015
都営青山北町アパートの再開発計画「北青山三丁目地区まちづくりプロジェクト」
港区北青山3丁目に位置する都営青山北町アパート、敷地面積4ヘクタール、最寄駅は地下鉄表参道駅、都営住宅の耐震化整備に伴い高層住宅への建て替えが行われる。都営住宅の耐震化は2020年度を目標としているが、都営青山北町アパートは「周辺エリアと連携したまちづくり」とあること、敷地面積が広大、高層にすれば商業目的のビルも建てられる、単なる建て替えだけだろうか、全容がはっきりしない。
この広大な土地は、東京府青山師範学校及び附属小学校、旧制中学などの跡地である。
1900年(明治33)年に東京府師範学校及び附属小学校として小石川区竹早町からこの地である赤坂区青山北町5丁目に移転・開校した。
1908年(明治40年)、東京府青山師範学校および東京府青山師範学校附属小学校と改称、1936年(昭和11年)に世田谷下馬町に移転
1939年(昭和14年)から翌年までは東京府立青年学校教員養成所が置かれた。
1940年(昭和15年)には東京府立第十五中学校(東京都立青山高等学校の前身の一つ)がここに開校した。
しかしながら、1945年(昭和20年)5月の米軍による東京大空襲に焼失した。
戦後、1957年(昭和32年)から1968年(昭和43年)にかけて都営青山北町アパートとして4階から5階建てのアパートが25棟建設された。
北青山三丁目地区まちづくりプロジェクト
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2014/12/20ocp200.htm



