Thursday, 3 August 2023

伊勢国白子と大黒屋光太夫

 どうする家康(29)伊賀を越えろ!で本能寺の変(1582)の後に家康は堺から伊賀越えで伊勢国白子から伊勢湾を船で渡り三河に戻る。時代が200年ほど下り、その白子の浦を拠点としていた回船問屋の船頭がロシア皇帝エカツェリーナ二世に謁見した大黒屋光太夫である。

1783年1月、紀伊の国の囲米を積んで神昌丸で江戸へ向かっていた時に駿河湾沖で暴風雨に遭い、7か月あまりの漂流ののちアリューシャン列島のアムチトカ島へ漂着。先住民のアレウト人や毛皮収穫のために滞在していたロシア人に遭遇した。

光太夫らは彼らとの生活の中でロシア語を習得。4年後(1787年)に有り合わせの材料で船を造りロシア人らとともに島を脱出し、カムチャツカ、オホーツク、ヤクーツクを経由して1789年にイルクーツクに至る。

ここで、スウェーデン人博物学者キリル・ラクスマンと会い、彼に随行して1791年にサンクトペテルブルクの離宮でエカツェリーナ二世皇帝に謁見し、帰国を許された。ロシア側では日本との通商目的があったとされる。

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