なぜ明治神宮外苑を再開発?その構想の出発点とその展開についてのメモです。信じられないがこれが現実、どうなってしまったのか日本、という印象なのです。
明治神宮外苑の再開発構想の出発点を大雑把に言うと、年代的には2003年頃、石原都知事と森元首相が東京オリンピックやラグビーワールドカップ誘致を梃子に高層ビル建設を含む再開発案を仕込んだのが根っこではないだろうか。
2009年に東京オリンピック誘致は失敗するものの、ラグビーワールドカップは誘致、この時に新国立競技場建て替えが進められ、東北大震災後に仕切り直しで、再度、東京オリンピック誘致を行い2013年9月にIOC理事会で東京開催が決まった。その過程で2010年から神宮外苑地区の地区計画が決定され、先ず国立競技場の建て替えへ、ラグビー場と神宮球場の建て替え+高層ビルへとと展開していった。
時は2003年、平田神社内(渋谷区)に一般社団法人JEM・PFI共同機構が設立され、この法人が「東京都防災まちづくり計画事業」提案書を作成し、外苑を防災拠点に位置付け、高層マンション建設を盛り込んだのが再開発構想を提案した。
2004年、電通に外苑百周年、東京五輪、球場ドーム化の企画を委託し、GAIEN PROJECT「21世紀の杜」企画書を委託した。
2004年7月、明治神宮が神社本庁を離脱(総代石原慎太郎)、(動き勝手がいいようになのか) (これは2010年に戻っているので意味不明)
2006年、都庁に東京五輪誘致本部を設置
2009年、東京開催、落選(リオデジャネイロ開催)
2010年、このあたりから行政が本格的に動き出し、神宮外苑地区の地区計画が決定された。神宮外苑地区地区計画、地区計画の面積:約64.3ha
2010年12月、「10年後の東京」への実行プログラム2011策定
地区計画の位置:港区北青山一丁目、新宿区霞ヶ丘町、渋谷区千駄ヶ谷一丁目ほか。
A地区とB地区に分け、A地区をA-1、A-2、A-3、A-4地区とし、再開発促進区を利用
2)神宮外苑地区の地区計画変更、2016年10月3日(東京都告示1678号)及び都市公園明治公園の変更
旧外苑ハウス部分をA-5地区とし、そこに隣接するA-3地区、A-4地区の範囲を変更
3)神宮外苑地区の地区計画変更、2017年3月6日(東京都告示342号)及び都市公園明治公園の変更
旧神宮プールと水明亭の付近をA-6地区として指定。
5)神宮外苑地区の地区計画変更、2022年3月10日(東京都告示283号)及び都市公園明治公園の変更
外苑前交差点や地下鉄外苑前駅付近をC地区として追加。A地区とB地区の区分を変更。A地区にA-7、A-8、A-9、A-10地区、B地区をB1とB2として指定。
2011年、ラグビーW杯議連が国立競技場8万人改築案を提案
2012年、 新国立競技場建設(再開発等促進地区)へ動き出す、2020東京五輪、誘致開始
2013年、 風致地区なのに高さ制限を15mから80mへ変更。
2013年9月、IOCリオデジャネイロで東京開催が決定
これらは地区計画との関連であり、レビューが必要。
2015年、事業者である三井物産、明治神宮、日本スポーツ振興センター、伊藤忠商事が外苑地区の再開発による高層化に関する覚書、
2016年、旧国立に隣接する都営霞ヶ丘アパート、立ち退き、解体。
2021年、2020東京オリンピック開催
2022年2月9日、東京都都市計画審議会、明治神宮外苑の再開発事業を承認、1000本の樹木伐採が表面化、等。
高層ビル建設を可能にしているのは容積移転、これを可能にするために地区計画及び都市計画公園の変更を東京都が行なっている。
行政側の都市計画変更に関わる経緯やPar‐kPFI制度適用等はさらに精査する必要があるが、以下のYouTubeチャンネルで根の部分を元都庁職員の澤さんが解説している。
神宮外苑1000本伐採 暴かれる森&石原の暗躍 澤 章さん【山岡淳一郎のニッポンの崖っぷち】
東京都都市整備局は経緯は正確にまとめている、が。
神宮外苑地区のまちづくり
Park‐PFI制度
都立明治公園及び都立代々木公園 整備・管理運営事業(Park-PFI事業)について
Park‐PFI推進支援ネットワーク
https://park-pfi.com/