Wednesday 10 August 2022

ダマスカス旧市街(2006年11月10日)

 【ダマスカス旧市街】(mixiより2006年11月10日)

何年かぶりにスークハミディエからウマイヤドモスク、その横イエスの塔を経てバプトゥーマ(トーマス門)まで記憶を頼り歩いた。

同行した人が気になったのが派手なランジェリーのディスプレイ、家と同じように内側を着飾るのがイスラム文化だと説明しておいたが果たしてそうだろうか?

ウマイヤドモスクでは50SPの入場券を購入(サラディーン廟の横)して北門から中へ入った。聖なる場所へ足を踏み入れるのは緊張する。ウマイヤドモスクの中には聖ヨハネの骨が収められているお墓が存在する。ローマ神殿からキリスト教の教会、そして、イスラム教のモスクへとの建物が変遷してきた歴史を垣間見られる。

ウマイヤドモスクの南、イエスの塔に向かう通りはダマスカスの工芸品点が並んでいる。寄木細工はその代表的なもの。道沿いに歩いていくと門があり、階段を降りて旧市街の奥へと進む

階段の右側にはカフェがあり、アレギレ(水タバコ)を楽しむ人でにぎわっている。さらに歩いていくと、ローマ時代の門の跡があり、このあたりから旧市街の生活が感じられる。ビデオ屋やシリアのパイ(ピデ)を焼く店、電気屋、グローサリーなどが並んでいる。

イスラム学校の前には水のみ場が設けてある。このあたりに、イスラム療法の病院が以前あったと聞いたが定かではない。途中、シリアのピデをつまみながら、旧市街の生活に触れる。

道を間違えて、アルメニア教会とハマームを見損なってしまったが、難なくバプトーマへ着いた。その先はキリスト教地区だ。


【ダマスカス旧市街】(mixiより2006年11月10日)
何年かぶりにスークハミディエからウマイヤドモスク、その横イエスの塔を経てバプトゥーマ(トーマス門)まで記憶を頼り歩いた。

同行した人が気になったのが派手なランジェリーのディスプレイ、家と同じように内側を着飾るのがイスラム文化だと説明しておいたが果たしてそうだろうか?

ウマイヤドモスクでは50SPの入場券を購入(サラディーン廟の横)して北門から中へ入った。聖なる場所へ足を踏み入れるのは緊張する。ウマイヤドモスクの中には聖ヨハネの骨が収められているお墓が存在する。ローマ神殿からキリスト教の教会、そして、イスラム教のモスクへとの建物が変遷してきた歴史を垣間見られる。

ウマイヤドモスクの南、イエスの塔に向かう通りはダマスカスの工芸品点が並んでいる。寄木細工はその代表的なもの。道沿いに歩いていくと門があり、階段を降りて旧市街の奥へと進む

階段の右側にはカフェがあり、アレギレ(水タバコ)を楽しむ人でにぎわっている。さらに歩いていくと、ローマ時代の門の跡があり、このあたりから旧市街の生活が感じられる。ビデオ屋やシリアのパイ(ピデ)を焼く店、電気屋、グローサリーなどが並んでいる。

イスラム学校の前には水のみ場が設けてある。このあたりに、イスラム療法の病院が以前あったと聞いたが定かではない。途中、シリアのピデをつまみながら、旧市街の生活に触れる。

道を間違えて、アルメニア教会とハマームを見損なってしまったが、難なくバプトーマへ着いた。その先はキリスト教地区だ。

I embarked for a trans Eurasian trip by USSR's ship "Khabarovsk" from Yokohama to Nakhdoka in 29 June 1985 at 11:00, which was 2 nights and 3 days cruise.
It was the starting point of my ambitious travel across Eurasia continent by railways. I disembarked at Nakhdoka and entered to USSR, then traveled to Moscow by Trans-Siberian Railway including a stop over at Irkutsk for a night in order to visit at Lake Baikal. Then I made round trip to Kiev by railway and air and I traveled to Leningrad by railway, After Leningrad, I finally departed to Finland by a night railway on 14 July 1985. Various things and accidents were happened during my stay in Soviet Union but I was really enjoyed and impressed by those things. I still remember clearly what happened there and what I saw.

I met Marina again in the afternoon of 11 July 1985 by chance at the entrance of Cosmos Hotel in Moscow when I returned to Moscow from Kiev. She was an Intourist attendant who took care of us from Nakhodka to Moscow on the Siberian Railways. Then we went to VDKh in front of the hotel and we were very much enjoyed walking and eating ice cream under white night, and she offered me one day private Moscow tour, so  the following day, 12 July 1985, we explored some places in Moscow by the public transportation such as metro and bus with 5 kopek per ride. It was fantastic days in Moscow with Marina.

These pictures were taken by Canon AE-1 Program+35‐75 f3.5-4.5 with films such as Kodachrome, Ektachrome and negative films, and scanned.

Yokohama> Nakhodka > Khabarovsk> Irkutsk> Moscow Yaroslavli > Kiev > Moscow > Leningrad >Lahati
http://1985.iio.org.uk/index.html

1985年6月29日、予てより準備していた横浜大桟橋発ナホトカ航路とシベリア鉄道でユーラシア大陸を横断に旅立った。7月1日、ナホトカ港着、ソ連邦へ入国、シベリア鉄道でモスクワへ、途中、イルクーツクでバイカル湖を見に一泊、モスクワまでさらに鉄道で、そして、キエフを夜行列車と飛行機で往復、モスクワから夜行列車でレニングラードへ移動、7月14日、レニングラードからの夜行列車でフィンランドへ出国した。ソ連滞在中、いろいろなことを見聞きしいろいろなことを体験した。今でもその時の光景ははっきりと覚えている。特にインツーリストの夏季アルバイトであったマリーナ(当時、ウラジオストク極東大学)にキエフから戻った時に再開し、翌日モスクワをバスや地下鉄を乗り継いで歩き回ったことが印象的だった。

この旅行のために一眼レフカメラCanon AE-1 Program+35‐75 f3.5-4.5を中古で調達、Nikon F2をと思ったが手が出せる価格ではなかった。ど素人というか、レンズの選択もよくわからないまま(標準の明るい単焦点であったならばもう少し写真が変わっていたのかもしれない)、そして、試し撮りもせぬまま出発、しかも自前のフィルムはKodachromeとEktachrome、その他、友人が融通してくれたネガフィルム(最初にネガフィルムから使い始めた)。

写真は街中や人々を撮りたかったが、結果、少ない。ネガの一部は紛失しているようだ、残念の極み。ハバロフスクで民警に捕まりネガ1本没収もあった。バウチャーはソ連出国時に回収されてしまった。

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