FBの思い出は何年か前の今日の出来事を表示してくれる。その中に、1996-97年のスラバヤの写真を何年か前に投稿したのが今日表示された。スラバヤ、思えば熱い記憶だった。
Monday, 21 June 2021
スラバヤの熱い記憶-1996-97年
英文学者野口米次郎と津島と天王川公園
野口米次郎は愛知尋常中学校へ進学し、明治23年、15歳の時に家出をし、明治24年に慶應義塾大学へ入学、英米文学夢中になり渡米を志す。明治26年に退学の挨拶を福澤先生に伝えに行くと「結局人生は一六勝負だ(一六はサイコロの目)」と激励された。
明治26年、17歳で渡米、詩人ウォーキン・ミラーと出会い明治29年に詩集を発表、その際、不十分な英語力を補い添削、編集を行っていたレオニー・ギルモアと恋愛関係になり、その息子がイサム・野口である。
野口米次郎の生家が津島市本町4-22に残っている、子孫が所有しているが既に二十年来無住でかなり傷みが激しい。この先、どうなるか不安である、と三田評論が指摘している。グーグルマップで確認したところ、野口米次郎と略歴が書かれた銘板が門横の板塀に掲げられてる。
https://www.keio-up.co.jp/mita/r-shiseki/s1304_1.html
ザンビアの初代大統領であったケネス・カウンダ、97歳で逝去、RIP
ザンビアの初代大統領であったケネス・カウンダ、97歳で逝去、独立運動を牽引した。21日間の喪に服す大統領令が出された。ザンビアは1964年の東京オリンピック開会式で北ローデシア国旗で入場し、ザンビア国旗で閉会式を行進した。
数回、大統領の演説を聞いたことがある、人民服っぽサファリスーツ、白いハンカチと各部族語への逐次通訳が印象的だった。1991年11月に複数政党制導入後の大統領選挙で敗退、下野した。
1986年、IMF融資の条件であった主食ミルミルへの補助金カットを実施したところ暴動に発展、以後IMF要請を拒否、親ソ国だったが、ソ連邦の崩壊とと時を同じくするように辞任、無血で禅譲したことはその後のザンビアには好影響だった。
中国との関係はニエレレ・タンザニア大統領とともに1960年代からタンザン鉄道建設で関係していた。社会主義を標榜、反アパルトヘイト体制を先鋒であり、亡命ANC本部、UN-Namibiaをルサカに迎えた。南ア空軍がルサカのANAを空爆したこともあった。チサノ・モザンビーク大統領がルサカでのカウンダ大統領との会談の帰途、航空機が墜落する事故もあった。日本は銅、コバルトを輸入している。May they rest in peace.
Sunday, 13 June 2021
アレクサンドル・ネフスキー寺院の想い
アレクサンドル・ネフスキー寺院、ソフィアの顔だろう、この写真は2011年5月に行った時なのでもう10年前になる。
ブルガリアだけ行ったわけではなく2010年に出張していたアルメニアのエレバンのアパートの整理に行った、継続しする仕事がなかったからだ。
ウィーン経由でイェレヴァンを往復、復路にウィーンからソフィアを往復したのだ。実に10数年ぶりのソフィアだった。
Friday, 11 June 2021
Google Mapのクチコミを匿名(ニックネーム)に変更する方法
しかし、テクニカルには以下の通り、個人情報で姓名を変更すればよい。
https://myaccount.google.com/personal-info
Wednesday, 9 June 2021
第二次ナゴルノカラバフ紛争-2020年9月27-11月10日
第二次ナゴルノカラバフ紛争(2020年9月27-11月10日)
- ナゴルノ・カラバフ紛争とアルメニアの政治、そして戦後へ
(2020年12月17日:吉村貴之) - ナゴルノ・カラバフ紛争をめぐるアゼルバイジャンの内情:難民・敗北の責任・人事交代
(2020年11月11日:立花優)
東京23区の図書館、使える!
23区の区立図書館、といっても近隣の港区、目黒区、渋谷区程度しか知らないが、けっこう使える。有栖川公園の都立図書館は確か貸し出しができなかった記憶だ。
区によってそれぞれ利用ルールが異なる、基本的に東京都に在住・在勤なら利用登録ができる。「品川区立図書館では、区内在住・在勤(在学)に関係なく、どなたでも利用カードを作る事ができます。」という区もある。
新聞・雑誌類も豊富でそれを読みに来ている住民も多い。それよりもかなりの蔵書数で、その区になくとも他の区を検索すれば概ね見つかる。
図書館は中央図書館という名称もあるが、並列で多くの図書館が区内各所に存在し利便性は高い。
ウェブページも少しづつ区ごとで異なる、面白い。予約すれば指定の図書館で受け取れる。
目黒区立図書館
https://www.meguro-library.jp/
港区立図書館
https://www.lib.city.minato.tokyo.jp/j/
渋谷区立図書館
https://www.lib.city.shibuya.tokyo.jp/
気になっている図書館が一つある。
それは北区中央図書館だ。この建物の一部はかつての日本陸軍の倉庫であり、明治38年、1905年、東京銃砲製造所が十条へ移転し、大正8年、1919年に赤レンガ倉庫(旧275号棟)完成している。その後、陸軍造兵廠火工廠十条兵器製造所など名称が変遷し、昭和20年の終戦により米軍に接収され東京兵器補給廠となる。昭和33年、1958年に返還、陸上自衛隊十条駐屯地275号棟倉庫として使用、平成20年、2008年に図書館として開館した。
https://www.library.city.kita.tokyo.jp/
Monday, 7 June 2021
蛍光灯の点灯方式の混在ー洗面所の手元照明と下足入れ下の足元照明は異なる点灯方式だった
この部屋には蛍光灯の点灯方式が混在している。2箇所だと思うが、洗面所の手元照明は電子安定器(インバータ)方式、他方、下足入れ下の足元照明はグロー球方式の点灯方式となっている。
これが1年ほどかけてやっとわかった結果だ。その設計思想はこれから確認しなければならない(事業主の不動産会社の担当はどうもそういうことに耳を傾けたくないという姿勢)。
入居当初、照明を全てLEDへ交換しようとしたが、その当時は蛍光灯型LEDの開発が遅れておりそのままにしていたが、ある時から商品が出回ることを認識し、よく考えずにアマゾンでアイリスオーヤマのグロー球方式LED20形を購入して交換しようとしたら、グロー球ソケットが見当たらなかった。
グロー球だと考えたのは、現在、洗面所の手元照明用に付いている蛍光灯が三菱電機製のFL20SS EX-L/18というグロー球用の蛍光灯だったからだ。それに、玄関の下足入れ下にある蛍光灯は同じ仕様でグロー球が表に出ていて明らかにグロー球方式とわかるもの。洗面所は当然ながらグロー球点灯方式のLED20形を付けても点灯はしなかった。
それで、この共同住宅の管理会社へ電話で問い合わせしたところ、電気屋に見てもらってください云々という対応だった。それで、自ら洗面所の蛍光灯器具を取り外して中をみたが、グロー球ソケットはなく、器具の様式が素人には判らなかった。
量販店の照明器具売り場で写真を見せて確認したら、現行の蛍光灯(FL20SS EX-L/18)のモデルからグロー式LEDとのこと。
腑に落ち直いままそのまま時間だけが過ぎていった、が、喉の奥に何か引っかかったようなままで、再度、管理会社へ問い合わせたところ、事業会社へ問い合わせを行いその結果が「洗面所は電子安定器(インバータ)方式で下足入れ下がとグロー球方式」との説明だった。インバータ方式はFHF蛍光灯を使用するがグロー球方式はFL蛍光灯を使用する。
ここでも腑に落ちなかったが、説明からグロー球方式のFL蛍光灯がインバータ方式での使用が可能ということになる。現在の洗面所の手元照明がインバータ方式でグロー球方式の蛍光灯が付けられているので、そういうことになるが、そうなのか?最終確認はまだできていない。
Sunday, 6 June 2021
アシガバードの記憶-2009年3月16-20日
2009年3月16-20日、トルクメニスタン🇹🇲の首都アシガバードにタシケントからイスタンブル経由で出張した。
アシガバードは3/18の早朝に着いて3/20の早朝に発っている。空港は建て替えられて数年なのであろう新しかったが電子化が遅れていてマニュアルが多かった。日本からのミッションに同行したので入国はCIPを利用、当然難なく入国。困ったのがホテル、予約済みであったが一部屋足りないことになり男同士でツインをシェアした。理由を聞いたらUAEの首長が狩りに来ていてお供のため部屋を抑えているからとのこと。
この時はミッションともども種々のアレンジで日本大使館にたいへんお世話になった。大使館のあるビルの屋上にレストランがありそこで食事会も開いていただいた。夜景は鮮やかな色の光が多くまぶしかった、産ガス国の趣味であろうか。
とにかく新しいビルを建設中だった、多くが住宅で公務員向けであった。事務所ビルのエレベーターが皆三菱エレベータだったのにタシケントから来た身にはやや驚きであった。会議がぎっしりと詰まっていたので写真が少ないし、外務省の職員が同行していて写真には非常に敏感だったこともある。