ザンビアの初代大統領であったケネス・カウンダ、97歳で逝去、独立運動を牽引した。21日間の喪に服す大統領令が出された。ザンビアは1964年の東京オリンピック開会式で北ローデシア国旗で入場し、ザンビア国旗で閉会式を行進した。
数回、大統領の演説を聞いたことがある、人民服っぽサファリスーツ、白いハンカチと各部族語への逐次通訳が印象的だった。1991年11月に複数政党制導入後の大統領選挙で敗退、下野した。
1986年、IMF融資の条件であった主食ミルミルへの補助金カットを実施したところ暴動に発展、以後IMF要請を拒否、親ソ国だったが、ソ連邦の崩壊とと時を同じくするように辞任、無血で禅譲したことはその後のザンビアには好影響だった。
中国との関係はニエレレ・タンザニア大統領とともに1960年代からタンザン鉄道建設で関係していた。社会主義を標榜、反アパルトヘイト体制を先鋒であり、亡命ANC本部、UN-Namibiaをルサカに迎えた。南ア空軍がルサカのANAを空爆したこともあった。チサノ・モザンビーク大統領がルサカでのカウンダ大統領との会談の帰途、航空機が墜落する事故もあった。日本は銅、コバルトを輸入している。May they rest in peace.
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