Friday, 18 May 2012

目黒区の町名(行政地区名)の変遷と東京23区への道程

昭和7年(1932年)10月1日、荏原郡目黒町と碑衾町(ひぶすままち)の区域をもって目黒区が成立した。

それまでは、武蔵国荏原郡三田村、上目黒村、中目黒村、下目黒村、碑文谷村、衾村の6村があり、荏原郡の区域は、現在の品川区、大田区、目黒区のほぼ全域と世田谷区の一部に相当する。

明治2年から4年(1869-1871年)までは、荏原郡は品川県に属していた(三田村のみ東京府に所属)。

明治4年7月(1871年8月)、廃藩置県が実施され、同年11月(1872年1月)、東京府、品川県、小菅県が廃止されて、新東京府が設置さた。荏原郡の区域は東京府に属することとなり、府内は6大区・97小区に分けられた(大区小区制)。

明治7年(1874年)3月、区割りが見直され、改めて11大区・103小区が設置された。後に目黒区となる区域は、このうちの第7大区第1、5、6小区に属していた。

明治11年(1878年)11月2日、郡区町村編制法の施行に伴い大区小区制が廃止され、東京府下に15区6郡(荏原、南豊島、北豊島、東多摩、南足立、南葛飾)が置かれた。後に目黒区となる区域は荏原郡に属していた。

明治22年(1889年)、市制・町村制が施行され、東京市(15区)が成立し、府下の6郡は、既存の町村が整理統合されて85町村となった。このうち荏原郡に属していたのは1町(品川町)18村で、現在の目黒区の区域に該当するのは目黒村と碑衾村であった。

明治22年、目黒村は三田村、上目黒村、中目黒村、下目黒村が合併して成立した。
明治22年、碑衾村(ひぶすまむら)が碑文谷村と衾村が合併して成立した。

明治29年(1896年)、南豊島郡と東多摩郡が合併して豊多摩郡となる。

大正11年(1922年)に町制が施行され目黒村が目黒町となる。

昭和2年(1927年)に町制が施行され碑衾村が碑衾町(ひぶすままち)となる。

昭和7年(1932年)10月1日、東京市は周辺の5郡(荏原郡、豊多摩郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡)を編入し、大東京市が成立した。

編入された82町村は20区に編成され、東京市は既存の15区(麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川、現在の千代田区、中央区、港区、新宿区(一部)、文京区、台東区、墨田区(一部)、江東区(一部))と合わせ、35区から構成された。

昭和7年(1932年)、目黒町と碑衾町の区域をもって目黒区が新設された。【冒頭の通り】

昭和22年(1947年)3月15日、35区は22区に整理統合され、同年8月1日、板橋区から練馬区が分離して23区となった。(昭和22年3月10日、東京都告諭第1号)。
同年、公布制定された地方自治法によって各区が特別地方公共団体(特別区)になった。

昭和18年(1943年)7月1日、東京府と東京市が廃止され、新たに東京都が設置された。この時、目黒区を含む35区は東京都直轄の区となった。

昭和42年(1967年3月1日)、住居表示が実施され、目黒区下目黒一~四丁目(旧目黒村下目黒(1932年))が目黒1~4丁目、下目黒1~6丁目、中町1丁目、三田2丁目となった。

大東京35区物語~15区から23区へ~東京23区の歴史
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0714tokyo_ku.htm

東京都公文書館
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/index.htm

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