Tuesday, 22 November 2011

資源国ボリビアと非資源国パラグアイ

南米の資源国にすり寄る日本、飴は経済協力という名の円借款供与。それがタイドならね、そろそろタイドに戻した方がいいんじゃないかな。

資源外交(2) 途上国に経済協力を活用

http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201012/08nichibolivia.html


これはボリビアの話、ウユニ塩湖にリチウムが山ほどあるそうな。中国がレアアースをストップした時に注目された。資源はあるが、ボリビアではそのリチウムを取りだせないので採掘権を外国の会社へうろう、それが基本的なアイディア。

ではどこへ売ろうか?

経済協力をしてくれるの、そう、それじゃあなたに、いや、こちらこんなアイディアもあるよ・・・
どっちにしようかと天秤にかける。

そんな天秤に乗せられる外交なぞしてはいけない、絶対に。

面白いと思ったのが日本・ボリビア共同声明、こんな外交も絶対にすべきではない。何やら地熱発電所に円借款供与、総額約100億円、当時の首相が最初は50億、そして話が進んだら残りの50億円と言っている。そんな話に誰が乗るかって!

日本・ボリビア共同声明

http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201012/08nichibolivia.html

この国と隣国パラグアイが1932-38年に戦争した。事の発端は、1928年、スタンダード石油がチャコ地方のアンデスの麓(ボリビアとパラグアイの国境付近で当時はその国境線が不明確だった)に石油が出ると情報を流し投資資金がボリビアに流れ込んできた。

もちろん米国代表のスタンダード石油=ロックフェラーはボリビア側につき、英国代表のロイヤル・ダッチ・シェルはパラグアイ側についた。

そしてどちらに石油があるのか、そこはボリビアなの、それともパラグアイ?よって国境線の問題が急浮上、ボリビアは、石油を産出してそれを輸送する港を持たなければならない。それにはラプラタ川の流域にあるパラグアイを攻めるしかない、と考えたのだろうか。

1928年末、ボリビアはパラグァイ川に石油積み出しのための港湾施設をグランチャコに建設、パラグァイ軍は周囲に監視哨を設けた。散発的な銃撃戦が開始されボリビアはパラグァイ軍の攻撃だとして国際連盟に提訴するが、時間稼ぎであったのだろう、小競り合いが続いた。そしてトリガーを引かれ戦争状態となった。これが「チャコ戦争」という。

丁度、この時期にパラグアイはメノナイト派のキリスト教徒を誘い、チャコ地方に入植させ、屯田兵的に位置付けているのは興味深い。

ボリビアは第1次大戦の東部戦線で戦ったドイツの退役将軍クンツを雇い入れ、軍備拡張に走った、他方、パラグアイは予算不足で帝政ロシアの将軍を呼ぶことにした。

1936年、中立6ヶ国委員会(アルゼンチン・ブラジル・チリ・コロンビア・ペルー・米国)は両国の休戦を宣言し、平和条約は1938年ブエノスアイレス条約として発効した。

パラグァイは係争地グランチャコの大部分を確保し、ボリビアはパラグァイ川の自由航行権と港湾利用権およびパラグァイ川へアクセスする狭 い回廊を得た。

両国が疲弊した戦争は終わった、油田のあるアンデスの麓はボリビア側に属することになったが石油はそれほどでないようだ。現在、天然ガス田が発見されたと聞く。しかし、ボリビアは内陸国、海へ出る道がほしい。それが、パラグアイ川と言う内航水運だ。自由航行権があるものの、その航路はパラグアイ側に依存している。世の中バランスしているのだろうか、良くできている。

昔も今も、利権が重要なのです。生半可な外交では今後の日本が心配です。


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