Wednesday, 13 November 2024

ブラショフのこと

 ブラショフはブカレストから約150km北に位置する、中世ドイツ様式の街並み残るトランシルヴァニアの都市である。1999年12月にブカレストの仕事が概ね終わった週末にトランシルヴァニアを1泊2日で駆け足で巡る機会があり、ドラキュラ城の後に数時間滞在した。運転手のジョージの古巣で旧市街を思い出を聴きながら歩いた。



ブラショフは1211年にハンガリー王エンドレ2世によってドイツ騎士団に与えられハンガリー国境を守るための要塞をブルツェンラント(ドイツ語: Burzenland、ハンガリー語:Barcaság )にブラッソヴィアという城塞を築かせた。ブラショフはその名に由来するが、ドイツ語名はクローンシュタットKronstadtという。

ハンガリー大公のゲーザが973年に神聖ローマ皇帝に宣教師の派遣を依頼してマジャール人へのキリスト教布教を認めた。息子にも洗礼を受けさせ洗礼名イシュトヴァーンとなった。父の死後、ハンガリー統一を進め、1000年12月25日、ローマ教皇のシルウェステル2世から授かった冠を用いて、ハンガリー王イシュトヴァーン1世としてエステルゴムで戴冠式を行い、正式にハンガリー王国となった。

王国は北部のスロヴァキア(モラヴィア)、南部のクロアチアのスラヴ人を支配下に入れ、さらにルーマニアのトランシルヴァニアにも勢力を伸ばした。以後、その一族であるアールパード朝による統治が300年続いた。

ハンガリー王ゲーザ2世(1141年-1162年)によって、ドイツ人によるトランシルヴァニア植民が始められた。その目的はハンガリー王国の南東部国境地帯の防衛で植民は13世紀終盤まで続けられた。植民者は神聖ローマ帝国西部出身者がほとんどで、全般的にフランケン方言(アーヘン、ケルン、トリアー周辺で話された)を話していた。彼らは集団名ザクセン人と呼ばれていた。その末裔がトランシルバニアザクセン人となる。

トルコの安倍晋三公園に銅像

2024年11月8日、日本とトルコの国交樹立100周年を記念して、トルコのオスマニエ工業団地で安倍晋三総理の銅像除幕式が、安倍晋三公園と名付けられた公園で行われた。


https://x.com/miyafh/status/1855879222356558200

日本大使館

https://x.com/japonyabe/status/1854885102532104617?s=46&t=ClaYi91y6SrPNv0t6mmrlQ

確か、ボスポラス海峡海底鉄道トンネルのマルマライ(円借款供与事業)の開通式に安倍首相がエルドアン大統領と同乗した映像が報道されたと思う、運転席だったかも。

その他、日本トルコ関係、

トルコ人監督による「平明丸 母国トルコへ帰るとき」と名付けられたドキュメンタリー映画が制作されたことをきっかけに、この事件が知られるようになったのだ。作品はトルコだけでなく日本でも上映された。さらにエルドアン大統領が2019年6月、G20大阪サミットに出席した際に次のように発言したことが、津村中佐の知名度を一気に高めることになった。

https://x.com/miyafh/status/1855879222356558200報道されたと思う、運転席()()だったか

2020年10月の記事ですが!
「ツムラ・ユキチ通り」トルコに日本人名の通りが登場…平明丸事件の真実

 https://www.fnn.jp/articles/-/98013?display=full

Goar Gasparyan、ソ連時代に2度来日したオペラ歌手

 

Goar Gasparyan、ソ連時代に2度来日したオペラ歌手

https://www.facebook.com/share/r/RUM9BTZ5QTb1JXrh/?mibextid=UalRPS

 アルメニア人オペラ歌手 Gohar Gasparyan、ソ連時代、公演旅行で二度、1959年と1964年に来日公演を行っている。ソ連人民芸術家(Наро́дный арти́ст)

https://eastriver229.blogspot.com/2014/12/gohar-gasparyan.html

Sunday, 3 November 2024

AirTag、車のキーにこれを付けていれば

 AirTag、車のキーにこれを付けていれば、と。

今ごろ認識した。昨年の大晦日、実家で畑仕事から戻って車のキーが無いことに気が付いた。自分の動いた経路を畑を含めて探し回ったが見つからず、元旦に新幹線で自宅のスペアキーを取りに戻った。

こういうの、商品化されていて当然だと思っていたが、まさか自分が車のキーを失くすとは考えていなかった。実家だし、普段は畑へ行く時はポケットから落ちる可能性があるので財布も持ち歩かないのに。

AirTag, 2021年4月30日の発売だったようだ。認識していなかった。MBのキー、スペアを作るのは高いのよね。残りに付けておかないと。

本体4,780円、4個パック15,980円。キーホルダー、高いね、本体よりも。

https://www.apple.com/jp/airtag/







Friday, 1 November 2024

Unter den Lindenとブランデンブルク門、ベルリン陥落直後

 Unter den Linden(菩提樹の木の下通り)とブランデンブルク門、ベルリンの大通りと空爆で倒壊したベルリン市街地、ベルリン陥落直後だろう。ベルリンの壁は門の下側に1961年になってから建設される。

写真はTiergarten上空からだろう、第二次世界大戦後、東西ドイツに分裂したため前方が東ベルリン、後方が西ベルリンとなった。右後方、Tiergartenに面して大日本帝国大使館があった、西ドイツ時代も日の丸が掲げられていたが大使館は首都ボンに移転。東西ドイツ統一後、首都がベルリンに戻り、旧大日本帝国大使館の建物は日本大使館として使われている。



Tuesday, 29 October 2024

アルメニアの細長いキャンディSweet Sujukh

 先日いただいたアルメニア🇦🇲のSweet Sujukh, sharotとも言うらしい。sujukhだけだとソーセージの意味のようだ。スイーツなのでSweetを付けるとソーセージ型をしたお菓子(キャンディ)となるようだ。

米国🇺🇸ではsnickersスニッカーズという。クルミを紐で繋げてモラレス、シュガー、シナモンなどをキャラメルに混ぜ紐で繋いだクルミにコーティングして作る。市場やショップの軒下に吊り下げられ売られていた。




https://phoenixtour.org/blog/sweet-sujukh-sharots-also-known-as-armenian-snickers-an-iconic-armenian-traditional-walnut-candy/

Friday, 25 October 2024

Tuesday, 1 October 2024

ポーランドの高速鉄道でクラコフへ

 Kraków, Poland by Train. ポーランドの高速鉄道でクラコフへ、2016年10月1日

クラコフです、最初に来た1980年代はワルシャワから夜行列車で早朝5時台に着き、8月初旬だったと思う、お腹の具合が悪く駅のトイレに駆け込んだ、水が流れなくて身振り手振りで説明したら大きなおばちゃんがバケツに水を持ってきて流してくれた。7時頃のバスでオシビエンチウムへ向かった。

時は流れ、今回乗ったのはポーランド国鉄最速の列車、160km/h程度、運行を開始して2年ほど(2014年12月運用開始)、ワルシャワから所要約2時間、150PLN。

FB、日本語ではクラコフ中央駅と表示されますがポーランド語のGłównyはmainという意味、ワルシャワだけが中央駅(Centralna)です。ショッピングセンターに降り立った様な印象、すごく良いお天気で汗ばみますが、このお天気は明日まで、月曜から雨の予報。


Alstom Pendolinos


Alstom Pendolinos、快適な車輌、ヨーロッパ仕様なので横3席、これで2等

クラコフ駅と一体化したガレリアクラコフ、今風のショッピングモール、これが建ったことで旧駅舎がやや南へ移動させたのではないか。

Saturday, 28 September 2024

ブルージュ、美しい街

 初めて海外へ行った1983年2月だった、ロンドンに着いて数日後にビクトリア駅から夜行鉄道でFolkstoneへ、そこからドーバー海峡をフェリーで渡り(乗車したままだったか?)、ベルギーのOstendeに早朝着き、鉄道ですぐ近くのブルージュ駅迄行き、駅から旧市街まで歩いた。そして、真冬で水面は凍っていたが写真のような美しい街が視野に入ってきた、感動の連続だった。

後に、1985年に写真のような夏季のブルージュを観たくて再訪した。



バグダードからの復路

 2019/9/28、任期中最後のイラク、バグダードとエルビル出張のアンマンへの復路、普段はセキュリティコードに触れそうな早朝フライトを選択しないが我儘な同行者がいるとこうなる。いつものコントロールリスク社のベテラン警備チームに空港まで送ってもらった。

残念だったが、この直後からイラク国内で反政府デモが頻発するようになり治安が悪化、翌年初頭には空港でイランの革命防衛隊の司令官が爆殺された。

早朝、空港まで送ってもらったベテランの警備チーム、丁度、夜明けが美しかった。5時起きでボーとしていた。通常、アンマンへの戻りは午後なのだが同行者が無理なスケジュールで来たので警備費用もありそれに合わせたが、こういう国では一個人の都合で急いではいけない。

1枚目のランクルは駐車中なだけで我々のではない。空港内は1台だけですが宿舎から空港までは3台のコンボイ移動。






中野駅南口のタイ・イサーン料理

今夜は中野駅南口のレンガ坂商店街にあるタイ東北地方イサーン料理屋で友人と夕食、南口は初めて来ました。

バンコクに滞在していた90年代前半、タイ料理は毎日の味でしたが、イサーン料理の味付けを正確に認識しておらず、この店のイサーン出身のマスターに確認しました。

魚の塩辛という表現を使っていましたが小魚を発酵させた魚醤プラーラーปลาร้า Plār̂āだと思います。ソムタム・ラオ(プラーラー)、やや塩辛い味付けと辛さ、辛さはかなり抑えてありましたが。サイ・クロ・イサーンという腸詰、グーン・オムという野菜スープをカオニャオといただき、生麺のクイッティアオ・パシイウ・ガイ(幅広い米粉麺の鶏肉炒め)など、クルアン・プルンเครื่องปรุง Kherụ̄̀xng prung(テーブル調味料セット:砂糖、唐辛子入りの酢、粉唐辛子、ナンプラー)で味付けして、いつも唐辛子入り酢を使います、美味しくいただきました。

アロイマークอร่อยมาก Xr̀xy māk、店の名はタイ語のタマネギとのこと。









東京のディープなアジア人街 」という本があった、こういう本に東京首都圏のリトルバンコク情報が載っていそう。

Friday, 20 September 2024

南インド料理と南インド料理店経営 in Tokyo

 南インド料理、スパイスの効いたあっさりした料理(基本はカレーですが)で長年、友人と通っている。特に今夏のような猛暑日が続くと自然と食べたくなる料理なのです、私的には。

インドに詳しい友人の南インド料理店の経営形態の推移の考察、時系列的に1-4のようになり現在4の段階、一言で言うとネパール化が進んでいるということのようです。

1経営(インド)又は日本、接客(インド)、調理(インド)

2経営(ネパール)、接客(ネパール)、調理(インド)

3経営(ネパール)、接客(ネパール)、調理(インド、ネパール)

4経営(ネパール)、接客(ネパール)、調理(ネパール)

これは全国的に南インド料理のネパール化が進んでいると思われる、とのこと。


特にここ数年、南インド料理店をはじめ北インド料理店もネパール化が肌感覚で進んでいる印象を受けている。南インド料理に達する前は北インド料理店ばかりでしたがその友人の影響で南インド料理に関心を持つようになり、食べ歩きをしている。

こういう料理に関心を抱いたのは、インド、パキスタン、スリランカなどへ出張したことが影響している。最近は日本食を持ち出して現地でも日本食を食べられる食材の種類が増えたのが影響していると思う。

私が最初に海外出張した1990年頃は、東南アジア諸国では日本料理店も多かったがその他の地域では少なかったこと、和食は日本で食べられるのでわざわざ食べたいとは思わなかったこと、それぞれの国や地域にも美味しい料理があること、その国の食文化を理解することを視野に入れてあれこれ試食してきた。


近所の北インド料理、いつのまにか味が変わっていたり、何度か通った渋谷の南インド料理店、最初は美味しかったが、2度目、3度目と通う度に味が変わっていった。その時に友人が調理人の出身を聞いたが最初の時と違う人、多分、ネパール人ではとのこと。その変化が著しかった。


ネパール人が作るインド料理が不味いというのではなく、南インド料理を食べるつもりで入った南インド料理店の料理がそうでないことが増えてきたということ。ネパール料理店は渋谷桜ヶ丘などにあり、何度も行ったことがあり美味しくいただいた。

 

東京のディープなアジア人街 」という本があった、 こういう本には現状の説明があるのだろう、期待してしまう。

Monday, 16 September 2024

現在のリンゴの祖先木

 現在食べられているリンゴの約90%は、DNA分析によりカザフスタン東部に広がる天山山脈の斜面の森林に自生するマルス・シエウェルシイ(Malus sieversii)という野生リンゴの木であったことがわかっている。

他方、リンゴの原産地はアジア西部といわれ、北部コーカサス地方が有力視されている。

約5000年から1万年前に栽培植物化され、そこから好ましい性質を持つリンゴが徐々にシルクロード沿いに西に運ばれることになったと言われている。

そのテンシャン山脈の麓(遠いが)のカザフスタンの前首都アルマトゥ(ソ連時代はロシア語のAlma-ata)はカザフ語の「リンゴの里」という意味である。


出典:画像はfbより

Canon IXY900IS、使いやすかった。

 Canon IXY900IS、2006年10月発売のコンパクトデジカメ、翌年に買ったのかも、デジ一はD100を持っていて併用していた。

使い易くかなり長い期間使っていたが、多分、2017年にRX100を購入したのでお役御免だったと思う。


















Sunday, 15 September 2024

ベランダのシソとバジル

 ベニフキノメイガがいた。シソはハダニ、バジルはベニフキノメイガかも。今年は酢では防げず、8月中旬からけっこう食害が著しいベランダのバジルとシソ。