ブラショフはブカレストから約150km北に位置する、中世ドイツ様式の街並み残るトランシルヴァニアの都市である。1999年12月にブカレストの仕事が概ね終わった週末にトランシルヴァニアを1泊2日で駆け足で巡る機会があり、ドラキュラ城の後に数時間滞在した。運転手のジョージの古巣で旧市街を思い出を聴きながら歩いた。
ブラショフは1211年にハンガリー王エンドレ2世によってドイツ騎士団に与えられハンガリー国境を守るための要塞をブルツェンラント(ドイツ語: Burzenland、ハンガリー語:Barcaság )にブラッソヴィアという城塞を築かせた。ブラショフはその名に由来するが、ドイツ語名はクローンシュタットKronstadtという。
ハンガリー大公のゲーザが973年に神聖ローマ皇帝に宣教師の派遣を依頼してマジャール人へのキリスト教布教を認めた。息子にも洗礼を受けさせ洗礼名イシュトヴァーンとなった。父の死後、ハンガリー統一を進め、1000年12月25日、ローマ教皇のシルウェステル2世から授かった冠を用いて、ハンガリー王イシュトヴァーン1世としてエステルゴムで戴冠式を行い、正式にハンガリー王国となった。
王国は北部のスロヴァキア(モラヴィア)、南部のクロアチアのスラヴ人を支配下に入れ、さらにルーマニアのトランシルヴァニアにも勢力を伸ばした。以後、その一族であるアールパード朝による統治が300年続いた。
ハンガリー王ゲーザ2世(1141年-1162年)によって、ドイツ人によるトランシルヴァニア植民が始められた。その目的はハンガリー王国の南東部国境地帯の防衛で植民は13世紀終盤まで続けられた。植民者は神聖ローマ帝国西部出身者がほとんどで、全般的にフランケン方言(アーヘン、ケルン、トリアー周辺で話された)を話していた。彼らは集団名ザクセン人と呼ばれていた。その末裔がトランシルバニアザクセン人となる。
No comments:
Post a Comment