2007/12/13、カイロ・イスラム地区の南門の尖塔Bab Zuweilaに登って眼下を見下ろすと足が竦んだが、素晴らしいカイロの俯瞰だった。
日本語のカイロは英語のCairoに由来するが、アラビア語ではアル゠カーヒラ al-Qāhir、若しくは通称のエジプトを意味するミスルも使われる。
7世紀、東ローマ帝国支配からイスラム帝国時代になり築かれた軍事拠点であるフスタートが起源である。
969年にファーティマ朝になりフスタートの北に勝利の町を意味する「ミスル・アル゠カーヒラ」としてカリフが住む宮殿と、イスマーイール派の学術センターとして建設されたアズハル・モスクを中心に1km四方の城砦都市が築かれた。政治機能が集約されたが経済はフスタートに残された。
12世紀に入るとファーティマ朝は混乱を極めるようになり、十字軍にも有効な手が打てなかった。
1169年にサラーフッディーンが政権を樹立、アイユーブ朝を興し、ファーティマ朝の政府施設を接収し政府機能の一切をカイロに集約させた。
1382年にアズハル大学の隣に宿場が作られ、以来大規模なスークとなっているハーン・アル=ハリーリーKhan Al-Khaliliが現在も賑わいのある商業地区となっている。
これが現在のカイロ・イスラム地区である。
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