Thursday, 6 August 2020

農村集落の変遷ー衰退と新形態

濃尾平野の真ん中に位置する木曽川の沖積層に位置する農村の実家に先ほど戻ってきた。裏側(北側)を見たら土地が濡れていて雨音がしたので雨だと思ったが、表は濡れていない、何とスプリンクラーの散水だった。

古い農村集落なので家屋が集まっていたが、いつ頃からか、集落の外へ農村住宅が移転する様になった。それが可能になったのは農林水産省の事業で耕地と農道が整理、整備され、県道から古い集落の外側の農地へのアクセスが良くなったからだ。子供の頃は小川だったり湿地だったがそれらが埋立てられアスファルト舗装の農道となった。農村は自動車社会、古い集落内の道路では自動車が通れないので、住宅ヘは外側に整備された農道からアクセスする。

‬‪農村は、土地利用(都市計画区域外)の変更は容易ではない。農地転用は農地法に基づいて各自治体が行政委員会として農業委員会を設置し、ここで農地転用(地目変更)の許認可を行う。農業者宅地は複数所有できず、集落外の農地を宅地に変更すれば、既存の宅地は農地とする交換手法が採られている。‬

‪その結果、いくつかの農業者住宅が古くある集落の外へ移転し、元宅地が農地になる。つまり農村集落が歯が抜けたような形態を呈している。家と家の間が農地に変わっいる。農村整備でアスファルト舗装の農道網は充実したのであろうが、農村集落の形態が変化、実家の周囲、北側も西側も農地になってしまった。

‪実家のある村は、良く言えば名古屋郊外、名古屋駅から20km圏、濃尾平野の真っ只中、信長が生まれたとされる勝幡城址は隣町、平成の合併で統合されたが基本的に今も子供の頃を振り返っても純粋に農村集落だと思う。主たる産業は農業なのだから。最も近い都会は津島だったが毛織物業も衰退し見る影もない。‬

前述の通り、実家の北、西隣が住宅から農地へ地目変更がされたことから、以前建っていた家屋は取り壊され名目上は農業目的の土地になっている。西側の農地は野菜栽培をしているが、北側は花卉や観賞用の小物植物を栽培している。その散水にスプリンクラーを使っていて、タイマー設定をしてあるのであろう、夜静かになってからポンプの給水音が北側から聞こえる。住宅だったらそんなことはないし、通常の野菜栽培でもそんな音は聞こえてこない。

農村社会の現状は深刻で農業後継者の減少から農地を所有するが農業はしない農業者が多い。農地は、寡占農業経営者、この辺りだと花卉や植木栽培及びそれらの販売、が主となり法人化し労働者を雇用、へ貸与している。また、ある家は借金を拵えて最終手段として農地を寡占事業者へ売却、そういう風に寡占家への土地の集中が目立ってくる。植木などの販売のために田が埋めたてられ、集荷場が作られ大型トラックが横付けできるような施設が建設、建設機械や輸送機械が多く出入りし、工事現場か倉庫の様相を呈している。‬

結果として農政は、農業基盤を整備して生産性や農村の上下水道(農業集落排水)を整備し生活環境の質の向上に多大に寄与した(上下水道料金は日本一高かった)。他方で農村集落の形態を変える要因を作ってしまったことになるのではないかと思う。‬


農業集落排水事業

https://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/nn/n_nouson/syuhai/

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