Wednesday, 11 March 2015

東京大空襲から70年

一夜にして10万人の犠牲者を出した東京大空襲(昭和20年3月10日)、続いて、名古屋、大阪、神戸などの都市が対象となり罹災、一般市民への補償を求 めた裁判では「戦争被害 は国民が等しく受忍(我慢)しなければならない」という受忍論が展開され原告敗訴の結果が既に出ている。

名古屋大空襲では、名古屋市北区にあった三菱重工の工場(三菱発動機第四工場)に勤めていた父方の姉夫婦が工場に隣接する社宅へ疎開先である私の実家から 荷物を取りに戻ったその夜に空襲となり、姉夫婦と子供一人が犠牲になった、その旨が仏壇の中にあった紙に書かれていた(昭和20年3月xx日、静子夫婦 云々)ことをふと思い出した。

空襲で使われた焼夷弾の構造そのものが木造日本家屋を対象としていたこと、つまり一般市民を対象とした無差別攻撃用であったことは周知の事実、とんでもな い爆弾を作り使用したことになる。これは忘れてはならないし、二度とそうさせないためにも、日本と日本人はもっと賢く立ち回ら中ればならない。鎮魂。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150310/k10010010141000.html

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