Tuesday, 17 December 2024

伊勢丹新宿店

 新宿三丁目交差点に建つ伊勢丹本店、新宿の顔であろう。

アールデコ様式を取り入れた百貨店は、ほてい屋として関東大震災後に大正15年1926年に竣工、伊勢丹は新宿通り側の隣接地に昭和6年1931年に土地を取得して神田から移転、昭和10年1935年に経営危機に陥った隣のほてい屋を買収して現在の伊勢丹新宿店となった。大正時代の歴史的建造物、東京都選定歴史的建造物に指定されている。

ちなみに三越日本橋本店は大正3年、1914年に竣工、重要文化財である。

パリのオスマン通り38, 40 42 Boulevard Haussmannに建つギャラリ・ラファイエットGaleries Lafayetteは1912年にガラスと鉄を使ったドームとアール・ヌーヴォーの階段が竣工し開業した。



Monday, 16 December 2024

ホテル・カザフスタン

 アルマティの冬景色、10年くらい前(2009年)にこのホテル・カザフスタンに泊まったことがある。

当時、ホテル少なくやっと取れたが、日本のビジネスホテルもびっくりするほど狭い部屋だった。ベッドの他、歩くスペースだけ、荷物は広げられなかったが、バストイレはゆったりしていた。それでバスにお湯を溜めゆったりと身体を温めた。

ソ連時代に建てられたホテルだが、こんな設計基準があったのか、と。翌日、他の部屋を覗いたが私の部屋が特別に狭かったようだ。





Friday, 13 December 2024

カイロ・イスラム地区

 2007/12/13、カイロ・イスラム地区の南門の尖塔Bab Zuweilaに登って眼下を見下ろすと足が竦んだが、素晴らしいカイロの俯瞰だった。


日本語のカイロは英語のCairoに由来するが、アラビア語ではアル゠カーヒラ al-Qāhir、若しくは通称のエジプトを意味するミスルも使われる。


7世紀、東ローマ帝国支配からイスラム帝国時代になり築かれた軍事拠点であるフスタートが起源である。


969年にファーティマ朝になりフスタートの北に勝利の町を意味する「ミスル・アル゠カーヒラ」としてカリフが住む宮殿と、イスマーイール派の学術センターとして建設されたアズハル・モスクを中心に1km四方の城砦都市が築かれた。政治機能が集約されたが経済はフスタートに残された。


12世紀に入るとファーティマ朝は混乱を極めるようになり、十字軍にも有効な手が打てなかった。


1169年にサラーフッディーンが政権を樹立、アイユーブ朝を興し、ファーティマ朝の政府施設を接収し政府機能の一切をカイロに集約させた。


1382年にアズハル大学の隣に宿場が作られ、以来大規模なスークとなっているハーン・アル=ハリーリーKhan Al-Khaliliが現在も賑わいのある商業地区となっている。

これが現在のカイロ・イスラム地区である。

Wednesday, 11 December 2024

エミレーツ航空便、2014年当時

 2014/12/11付け

成田or羽田?エミレーツ航空、羽田便があると聞いたので今回のウガンダ出張は往復ともそうしたが、羽田発着は一長一短だ。

出発が午前0時30分なので前日から羽田へ行く必要があるが、エンテベにはドバイでのトランジット2:30で乗継、当日13:25に着くので充実した一日となる。他方、出発時刻から日数がカウントされるので成田便を利用すると移動に二日かかることになる。

復路、羽田便はドバイでのトランジットが長い、エンテベ発15:30でドバイに21:35に着き、羽田便は翌朝08:15発、ホテルを付けてくれるが空港の外なので入国する。食事付きだが、閉店間近にチェックインし、朝食前にチェックアウトすることになる。寝られるようでゆっくりもできない。それにネットは有料だし使い勝ってが悪い。以前のように空港内のエアポートホテルならば良いが。ビジネスクラスならばラウンジの中にソファーベッドがある。

成田便は午前2時台発なので成田着が午後5時台、他方、羽田便は08:15発で22:45着と成田から東京への時間を足しても成田便のが早い時間に自宅に戻れる。

小腹が空いたのでホテルを出て空港に戻ってきた、そしたら丁度、成田便が搭乗開始だった。

フライトスケジュールからエミレーツの場合は羽田発、成田着が使い勝ってが良さそうだ、私的には次はトルコ航空にしたい。

ドバイは拡張してターミナルA, B, Cと3ターミナルある、Aが新しくBCとは新交通システムで接続されている。出入国はBCターミナルで行われる。

ターミナルの拡張が進んでいるがバス利用が多い、今回も到着/出発ともバスだった。

Tuesday, 10 December 2024

シリア情勢2024年12月、ダマスカス無血開城

 アサド前大統領、辞任して出国したので前ですね、ロシア軍機でモスクワへ、ロシアが亡命を認めたとの報道。夫人と子供達を先にモスクワへ退避させたのでこうなることは想定内だったのでしょう。また、ダマスカスを無血開城したのはギリギリの英断だったのでは、戦力状況を踏まえたのでしょう。

 
課題は今後の反政府勢力による統治機構の再編、一枚岩では内容ですがHTSとFSAは良好な関係とのこと、ただ、HTSがアルカイダ系であり、国際社会がどう受け止めるのか、また、イスラエルが1974年停戦合意を反故にしてゴラン高原のDMZ境界を越境してシリア領内へ侵攻、占領のかまえ。
 
シリアは、2011年以降、アラブの春に連動した民主化運動が発展して政府軍が強権的に武力で弾圧、複数の反政府勢力と内戦状態に突入した辺りから国内治安が不安定化し、国内避難民や難民が急増した。
 
今回、10日あまりで政権が転覆したのはシリアを支援していたロシア、イラン/ヒズボラがそれぞれ対峙しているウクライナとイスラエルに集中せざるを得ない状況になり、このパワーバランスの間隙を突いたことから、シリア政府軍だけでは持ち堪えられずダマスカス開城となった。無血開城は潔さだったのか、結果は幸いだった。
 
イドリブを拠点とするHTSシャーム解放機構はアルカイダ系、この組織が躍進できた背景にはカタールやサウジアラビアのスンニ系産油国の支援があったに違いない。今回の攻勢はHTSが強くなったのでなく、アサド政権がイランの支援を失ったからと考えられる。
 
イスラエルがヒズボラを攻撃、弱体化させ、イランがレバノンとシリアに再進出しないと約束し、レバノン停戦が11月28日に発効した。トルコはイラン系がイスラエルに駆逐されてアサド政権が弱体化していること、イランがシリアに援軍を出さないことから、アサド政権転覆を意図して翌日にトルコがHTSに進軍を開始させた。
 
アサド政権はイランがイスラエルに譲歩した時点で政権崩壊を覚悟し、国家の枠組みを残して辞任、出国亡命して円滑な政権移行=ダマスカス無血開城をした方がシリア国民にとって良いと考え、政府軍に降伏命令を発したと考えられる。




Monday, 9 December 2024

モスタルのスタリ・モスト(石橋)

 モスタルの崩落した石橋(スタリ・モスト)、モスタル市内を流れるネレトヴァ川に架かる15世紀に建造された石橋。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1993年11月9日午前3時にクロアチア系のカトリック民兵によって破壊された。2004年6月23日に再建が終了した。

モスタルはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争期には独立したヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国の首都であった。



Sunday, 8 December 2024

アルメニア(スピタック)大地震

 1988/12/7、アルメニア北西部でスピタックを震源とするM6.8-7.2の大地震が発生した。レニナカン(現在のギュムリ)は大きな被害を受けた。日本は当時のソ連邦に国際緊急援助隊を派遣したことはあまり知られていない。

2010年にスピタックとギュムリを訪れる機会があった。スピタックは小さな街ということもあるのか、当時の痕跡は見られず、一方、ギュムリは崩壊したアパートや住宅がそのままだった。これは、復旧復興予算が不正があり当初目的に支出されなかったとの説明だった。平家の半崩壊住宅に住み続けている住民も視野に入った。




シリア情勢、反政府勢力がダマスカスへ侵攻

 隣国の非常戒厳と大統領弾劾決議で日本のメディアからは無視されているかのようですが、アサド・シリア政権が崩壊間近、ダマスカスが北からのHTSと南からのFSAが10km付近まで進軍中。

2024/12/7、自由シリア軍が南部からダマスカスへ向けて進軍中との情報、イスラエルはアサド大統領は既に国を離れテヘランに着いたと。

2/HTS(Tahrir al-Sham、シャーム解放機構(旧シャームの民のヌスラ戦線))がハマを掌握、Druze(ドゥルーズ派、自由シリア軍に合流か)がSuwaydaへ侵攻、掌握した、クルド勢力SDF(Syrian Democratic Forces)がDeir ez-Zorへ侵攻、

3/ロシア軍はLattakiaのHmeimim Air BaseからS-400 long-range SAM battery をTartus港へ向けて移送中との情報。

4/ただし、反政府勢力の情報だけが表に出ているので、現実はどうなのかわからないの現実ではと思います。

5/イラクのシーア派、イランの革命防衛隊、ヒズボラ精鋭部隊もシリア入りしそう、反政府勢力に情報が煽られている可能性もあります。

6/シリア、北からのHTSと南からのFSAの反政府勢力がダマスカスに進軍中、20km手前付近。政府軍は既に投降を始めている、ダマスカス郊外、クナイトラで。



ヴェネツィアの地理的な位置

 ヴェネツィア from the air.この写真はその地理的な位置がよくわかる。ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅からの鉄道橋も見える。



スイス🇨🇭の氷河特急The Glacier Express

 私は乗り鉄だったのか?

スイス🇨🇭の氷河特急The Glacier Express、スイスアルプスを縦貫するZermatt and St. Moritzを結ぶ291km山岳鉄道、91トンネル、291の鉄道橋、所要8時間の世界最低速度の特急、最高地点はOberalp Pass の2033mを通過する。

ハイライトはLandwasser Viaduct高架橋(a UNESCO World Heritage site), 列車は6アーチの高架橋を滑るように走りcliffside tunnelへ吸い込まれて行く。

1990年1月にZermatt からSt. Moritzに乗った。



Saturday, 7 December 2024

「ういろう(外郎)」

 元から明になる元末期に福岡に亡命した元の医師、薬を作る礼部員外郎の役職であった陳さんが、日本で薬を作った後に米粉と黒糖で作った口直しお菓子がが「ういろう」とのこと。ういろうは外郎と書きますが、これは唐の言葉の発音で陳さんが陳外郎と名乗ったことに由来。

https://www.walkerplus.com/article/1153763/