Tuesday, 13 September 2022

麦酒工場の名が地名になった恵比寿

恵比寿は、東京都渋谷区の地名であり、この地名は明治期にこの地に日本麦酒醸造会社(サッポロビールの前身)が設立され、この工場で製造されたビールが「ゑびすビール」であり、ビール運搬のために品川から貨物線が工場へ敷設され「恵比寿停留所」と命名されたことに由来する。
 
現行の住居表示は、恵比寿一丁目から四丁目、恵比寿西一丁目から二丁目、恵比寿南一丁目から三丁目が存在し、概ね、JR恵比寿駅東側が「恵比寿」町域(概ね山手線、渋谷川、首都高に囲まれた地区)、恵比寿駅北西側が「恵比寿西」町域(山手線、駒沢通りの北側、八幡通りに囲まれた地区)、恵比寿駅南西側が「恵比寿南」町域(駒沢通りの南側、茶屋坂通り、防衛研究所に囲まれた地区)となる。

恵比寿は、渋谷区の最東・最南部に位置し、港区(白金・白金台・南麻布)・品川区(上大崎)・目黒区(三田)との区境に位置する。(1962年5月10日に施行された住居表示に関する法律に基づいている)
 
1)恵比寿(郵便番号150-0013)
恵比寿地区は江戸時代には下渋谷村・三田村と呼ばれており、渋谷川と目黒川に挟まれた台地上に位置する農村地帯で、その高台部を三田用水が流れ、大名の下屋敷が点在していたが、明治以降、日本の近代化とともに変貌していく。

明治20年、1887年9月、三井が出資し日本麦酒醸造会社(サッポロビールの前身)がこの地、東京府荏原郡三田村、に工場建設用地を取得し、三田用水を上水を用いて明治23年(1890年)にビールを製造し、その商品名が「ゑびすビール」と名付けられ好評を博した。
 
翌明治24年(1891年)、ビール運搬のために日本鉄道品川線(現在の山手線)に貨物駅が開設され「恵比寿停留所」と命名された。(1900年に三井物産出身の馬越恭平が経営に乗り出して、1906年9月大日本麦酒と合併した。)

明治39年(1906年)、貨物駅である恵比寿停留所の近くに旅客駅が開設した。この頃から駅周辺地区が「恵比寿」と呼ばれるようになり、昭和3年(1928年)、駅の東側から白金に向かうバス通りに沿って「恵比寿通り1・2丁目」という町名が付けられた。その後、幾度かの地名改正を受け、戦後に他に隣接する町などを統合して現在の恵比寿という地名となった。(1962年5月10日に施行された住居表示に関する法律に基づいている。)
 
また、都電ゑびす長者丸線がが広尾・天現寺橋よりヱビス長者丸までの1.2㎞、現在の恵比寿ガーデンプレイス、ウエスティンホテル東京の南側、つまりビール工場の脇まで都電が運行していた。しかし、戦時中にレールを供出したため運休(昭和19年5月4日)した。
 
荻須高徳(パリを描いた画家)が下目黒の叔父の家に世話になっていた頃、パリ渡航前だろう、大塚山古墳付近から、目黒川の先の台地上に位置する風景を恵比寿麦酒工場を入れて描いている。この絵は目黒育美術館が所蔵している記憶だ。

1994年(平成6年)、ビール工場跡地(1988年に移転)の再開発事業として「恵比寿ガーデンプレイス」が開業、工場跡地は商業業務施設として、また、恵比寿の街はこの再開発事業の影響を受け大きな変貌を遂げた。

恵比寿(1966年7月1日、住居表示実施)、
住居表示:実施前
恵比寿一丁目:恵比寿通二丁目、新橋町、山下町、下通二丁目、下通三丁目、恵比寿東一丁目、恵比寿東二丁目
恵比寿二丁目:豊沢町(全域)、恵比寿通一丁目、恵比寿通二丁目、新橋町、下通一丁目、下通二丁目
恵比寿三丁目:伊達町(全域)、景丘町、恵比寿通一丁目、恵比寿通二丁目
恵比寿四丁目:景丘町、恵比寿通二丁目、山下町、恵比寿東一丁目、恵比寿東二丁目

現在の恵比寿一丁目は山下町、恵比寿二丁目は新橋町および豊沢町、恵比寿三丁目が伊達町、恵比寿四丁目が景丘町であった。

伊達町は宇和島藩伊達家の下屋敷があったことに由来する。景丘は、近代以前は欠塚と呼ばれていた地区で、現在は同地区にある加計塚小学校にその名残がある。その他にも旧地名は町会名として残っており(豊沢町会、伊達町会)、また、恵比寿二丁目交差点を頂上とする坂を「伊達坂」と呼び、恵比寿二丁目交差点の別称は「伊達坂上」である。

2)恵比寿西(郵便番号150-0021)
1960年(昭和35年)、それまでの渋谷区下通四丁目・同五丁目・公会堂通・長谷戸町・衆楽町・代官山町などから成立した。

 
1970年1月1日、住居表示実施
住居表示:実施前 
恵比寿西一丁目:恵比寿西2の全域、恵比寿西1、下通5、長谷戸町、八幡通3、衆楽町の各一部
恵比寿西二丁目:恵比寿西2の全域、恵比寿西1、下通5、長谷戸町、八幡通3、衆楽町の各一部

3)恵比寿南(郵便番号150-0022)
1960年(昭和35年) - それまでの渋谷区向山町・下通四丁目・同五丁目・原町から成立した。

1970年1月1日、住居表示実施
恵比寿南一丁目:原町、恵比寿南1・2の全域、恵比寿西1、下通5の各一部
恵比寿南二丁目:原町、恵比寿南1・2の全域、恵比寿西1、下通5の各一部
恵比寿南三丁目:原町、恵比寿南1・2の全域、恵比寿西1、下通5の各一部 


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