明治20年、1887年9月、三井が出資し日本麦酒醸造会社(サッポロビールの前身)がこの地、東京府荏原郡三田村、に工場建設用地を取得し、三田用水を上水を用いて明治23年(1890年)にビールを製造し、その商品名が「ゑびすビール」と名付けられ好評を博した。
明治39年(1906年)、貨物駅である恵比寿停留所の近くに旅客駅が開設した。この頃から駅周辺地区が「恵比寿」と呼ばれるようになり、昭和3年(1928年)、駅の東側から白金に向かうバス通りに沿って「恵比寿通り1・2丁目」という町名が付けられた。その後、幾度かの地名改正を受け、戦後に他に隣接する町などを統合して現在の恵比寿という地名となった。(1962年5月10日に施行された住居表示に関する法律に基づいている。)
1994年(平成6年)、ビール工場跡地(1988年に移転)の再開発事業として「恵比寿ガーデンプレイス」が開業、工場跡地は商業業務施設として、また、恵比寿の街はこの再開発事業の影響を受け大きな変貌を遂げた。
住居表示:実施前
恵比寿一丁目:恵比寿通二丁目、新橋町、山下町、下通二丁目、下通三丁目、恵比寿東一丁目、恵比寿東二丁目
恵比寿二丁目:豊沢町(全域)、恵比寿通一丁目、恵比寿通二丁目、新橋町、下通一丁目、下通二丁目
恵比寿三丁目:伊達町(全域)、景丘町、恵比寿通一丁目、恵比寿通二丁目
恵比寿四丁目:景丘町、恵比寿通二丁目、山下町、恵比寿東一丁目、恵比寿東二丁目
現在の恵比寿一丁目は山下町、恵比寿二丁目は新橋町および豊沢町、恵比寿三丁目が伊達町、恵比寿四丁目が景丘町であった。
伊達町は宇和島藩伊達家の下屋敷があったことに由来する。景丘は、近代以前は欠塚と呼ばれていた地区で、現在は同地区にある加計塚小学校にその名残がある。その他にも旧地名は町会名として残っており(豊沢町会、伊達町会)、また、恵比寿二丁目交差点を頂上とする坂を「伊達坂」と呼び、恵比寿二丁目交差点の別称は「伊達坂上」である。
2)恵比寿西(郵便番号150-0021)
1960年(昭和35年)、それまでの渋谷区下通四丁目・同五丁目・公会堂通・長谷戸町・衆楽町・代官山町などから成立した。

住居表示:実施前
恵比寿西二丁目:恵比寿西2の全域、恵比寿西1、下通5、長谷戸町、八幡通3、衆楽町の各一部
3)恵比寿南(郵便番号150-0022)
1960年(昭和35年) - それまでの渋谷区向山町・下通四丁目・同五丁目・原町から成立した。
恵比寿南一丁目:原町、恵比寿南1・2の全域、恵比寿西1、下通5の各一部
恵比寿南二丁目:原町、恵比寿南1・2の全域、恵比寿西1、下通5の各一部
恵比寿南三丁目:原町、恵比寿南1・2の全域、恵比寿西1、下通5の各一部

