1.プロローグ
車で九州まで行くことを思いついたというか、実家までは何度か母の見舞いで東名高速、新東名高速を何度か往復していたが、それ以西へは時間的な制約もなり足を延ばしていなかったので、切っ掛けを見極めていた。
そして、このコロナ禍が良い機会と判断し、給付金10万円の使途としても効果的と考え、今回の帰省をステップに実家から九州は天草・崎津集落まで行こうと考えた。崎津集落はNHKの番組で潜伏キリシタンの世界遺産とも紹介されていたこともあるが、友人が天草出身だったこともあり、九州の一部として天草という地を見てみたいと思ったのであり、目的を定めるにも好都合だったからである。
それと、仕事で道路事業への融資に関係しているものその高規格道路の日本での現状を知らないし、地方の一般道も然り、実家までに利用する東名高速、新東名高速や名古屋周辺、それと首都圏の道路程度しか認識していなかった。それで、車があるうちにと、思い切って天草の崎津集落までの道路事情の視察、長距離運転のテスト+車の調子観察、日本の地方を知る・視察、などの複合的な視点で出かけた。まずは実家の雑木林と化した植木畑と庭の雑木を刈り込まねばいけないのだが、これがなかなか進んでいない。
2.東京・目黒から愛知県津島の実家へ
2020年9月13日(日)、先ずは東京目黒から実家の愛知県津島市までの道のり。目黒通りから、柿の木坂陸橋、碑文谷の環七交差点を避けて碑さくら通りから環七に入り駒沢通り、用賀仲町通りから国道246号へ、そして環八を右折し東京ICから東名高速へ入った。この時は時間的な余裕があったにも関わらず、一般道で名古屋まで行くという選択肢は先送りされていた。
時間帯によるが、R246から環八を右折するのが比較的空いているのではとの推察からだ。名古屋ICまでの走行距離は、どらプラでは314.6㎞だがもう少しありそう、車の距離計では目黒の自宅から実家までは約360㎞だ。
さて、午後に出かけたので途中で日没になるのだがそれでも日没までにできるだけ距離を稼ぐべく一瞬のトイレ休憩とタイヤの空気圧を確認するために海老名SAに立ち寄った以外は、新東名の駿河湾沼津SAまで走った。途中、雨に降られ、雲が多いので富士山は拝めないだろうとは予想していた。駿河湾沼津SAからは駿河湾から伊豆半島にかけて雲が切れ良好な眺望なれど、富士山側は厚い雲に覆われていた。浜松SAの次の長篠設楽原PAは前回の往復で見つけたスポット、浜松SAに止まらず長篠設楽原PAへ、長篠設楽原の合戦に隣接し、織田信長陣地である茶臼山が下りPAの敷地内にある、意図的に用地を取得したのだろうか。日没間際に到着した。
(写真上)織田家紋、多ければいいというものではない。
新東名は矢作川を渡り豊田JCTで東名と合流する。上郷SAで手土産のエビせんべいを調達し、名古屋ICで東名を下りた。写真は撮っていないが、名古屋外国語大学(以前とは名称が異なるので変更したのだろう)のサインが見えると名古屋ICとなる。ここがややこしい出口で、直進が名古屋IC、途中右方向が名古屋環状2号線となる。
名古屋ICから東山通り(広小路通り)をそのまま直進、池下で右折して二つ目の交差点を左折し桜通りへなのだが、よく一つ目の交差点を左折して錦通りを走ってしまう、それほどの遅延はないのだが桜通りのが信号が少ないように思う。そして、名古屋駅前のロータリーを右折して、シェル石油セルフで給油、そのまま線路沿いに行き、則武新町の太閤通りを左折して東海道新幹線他をくぐり、直進、中村高校先の豊公橋で庄内川と新川を渡り、県道あま愛西線を直進し、吉野家甚目寺店前の三叉路を右折、五条高校横から県道給父清須線を走っていくと実家に着く。
(写真上)走行距離表示
(写真上)到着翌日は秋晴れの清々しいお天気だった、なぜか急に秋らしくなって驚いたほどだ。秋風が心地よかった。雑木林のようになっていた植木畑の隣は田んぼで穂が既に重く垂れていた。
(写真上)夏に来た時にはまだ実を付けていなかった庭のムラサキシキブが鮮やかな色の実を付けていた。
(写真)庭のムラサキシキブ
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