Wednesday 8 January 2020

Bishkek2019 その1:12年ぶりのビシケク

Bishkek2019 その1:12年ぶりのビシケク
最初にビシケクに滞在したのは2007年2月、雪が舞うタシケントからウズベキスタン航空のBAe 146/Avro RJでビシケクへ飛んだ。マナス空港も雪、夕刻に着陸して暗闇の中をターミナルのボーディングブリッジへの移動中、窓から漆黒の中に照明に照らされた巨大なUS Airforceと書かれた米空軍輸送機が現れたことで実感した。

当時、マナス空港は米軍がアフガニスタンへの輸送基地として使っていたからだ。その経緯は2005年のアンディジャン事件に遡る。米軍は対テロ対策としてウズベキスタンからのオファーを受け入れ、2001年からウズベキスタン南部のカルシ・ハナバード空港を使っていたが、2005年5月のアンディジャン事件で西側とウズベキスタンとの緊張が高まり、ウズベキスタン政府は2005年11月までの米軍撤退を表明、その代替としてマナス空港が脚光を浴びた。

マナス空港の空港コードはソ連時代の都市名フルンゼのFRUが現在も使われている。トルコ航空の案内に表示される地図には一瞬だったがFrunzeの文字が読み取れた。現在の空港はターミナルを含めて1996年に円借款が供与され「マナス空港近代化事業」により改修されている。その後も無償資金協力である「マナス国際空港機材整備計画」により空港保安機材など供与がされている。

ビシケク、イスタンブールから約5時間の距離だった。搭乗したTK342の最終目的地はウランバートル、乗客の多くがモンゴル人であり、ビシケクで降りた乗客はほんの僅かで入国審査も数人のみと早かったがそれ以上に荷物が早く、入国審査後にバゲージクレイムへ行ったら既にターンテーブルに乗っていた。2007年の時は雪の降り方が激しくなり、アイスバーンの道路を滑りながら走っていったが、今回は路面が濡れていた程度だったが翌日は雪であろうことは容易に想像できた。

写真:
1)マナス空港ターミナル
2)翌朝は今季初雪
3)ビシケクのスカイライン
4)トルコ航空の地図、フルンゼ表記

マナス空港近代化事業(円借款)
https://www2.jica.go.jp/ja/evaluation/pdf/2002_KYR-P1_4_f.pdf

マナス国際空港機材整備計画(無償資金協力)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press1_000086.html

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